新聞紙の“第二人生” 人口3人の高知・限界集落で始まった「炭鉢」の試み

火災直後の工房。周囲は山々に囲まれ、小鳥の声だけが山峡に響いていた(高知県北川村木積)

限界集落という言葉は日本社会に定着したが、消滅集落はどうだろう。住民の半数以上が65歳超の限界集落は、集落再生がもう限界に達したことを意味している。消滅集落は、その名の通り消滅である。しかし行政も、人々も、いまひとつ目を向けないのは限界から消滅までの長い年月だ。人口が3人にまで減った高知県のある集落では「自然とともに土に還る」「高齢者でもできる」をキーワードに小さな試みが始まっている。(依光隆明)

土佐湾岸から車で半時間ほど走った山あいに北川村木積(こつも)の集落がある。ぐるりが山とあって日照時間は短いが、台風の猛威は避けられる。住むには適していたのだろう、昭和30年代には木造2階建ての立派な小学校があり、子どもたちの歓声が山峡を渡った。育った若者が都会に出て行ったころを境に人口は急下降する。昭和40年代から小さな水田をユズ畑に転換して成功するが、人口減少は止まらなかった。

人口3人になったこの村を不幸が襲ったのは今年5月だった。集落最年少の陶芸家、新田文江さん(77)の工房が火災で焼けたのだ。

神様、そう来るか

火災の原因は窯から出した缶だったとみられている。

その日、新田さんは新聞炭鉢の試作品を焼いていた。大きな缶にもみ殻を詰め、そこに新聞紙で作った器を入れる。詳しくいえば新聞紙をどろどろに溶かし、木型を使って鉢の形にしたものをもみ殻の海に埋める。缶をガス窯に入れ、1週間ほど高熱を加えると炭化した鉢ができる。これが新聞炭鉢である。土と山野草を入れれば、ちょっと風雅な寄せ植え盆栽に仕上げることができる。材料費はかからないし、いい感じに仕上がればインテリアとして重宝されるかも、と考えていた。

もういい頃合いだと缶を窯から出し、火の気がないか念入りにチェックした。いったん工房を離れ、戻ったときに火が見えた。缶の周囲が炎に包まれていた。ほかに火の気はないので缶のもみ殻から引火したとしか考えられない。震える手で119番通報し、海岸近くにある消防署から消防車が来た。消火栓はあったが、水がなかった。遠くの川までホースを伸ばし、水をかけた。全焼だった。

呆然とした新田さんから出た言葉は、「神様、そう来るか」だった。栃木県の益子で陶芸を修行していた新田さんが木積に帰った1年後、父・義治さんが事故で全身不随となった。陶芸家として足を踏み出した直後だった。義治さんを介護しながら「こつも焼」と名付けた作品を作り続けていた。父母を看取り、70歳を超え、陶芸がいつまでできるかな、と思い始めたときに起きたのがこの火事。これはもう陶芸をやめろということだな、すっぱりやめよう、と考えた。
年齢のこともあり、新田さんは窯の再興をいったんは諦めた。諦めの中で続いた幾つかの奇跡が、諦めを覆す。

全焼した工房で、窯だけが屹立していた
村民の協力で立ち上がりつつある建屋

全焼した工房の中で、40年前から愛用を続けたガス窯が屹立していた。あたかも「まだ自分は働ける」と主張するかのように。窯に製造会社の名が書かれていた。知人に調べてもらうと、もうすでに存在していなかった。諦めかけながら似た名前の会社に電話してみると、当たりだった。従業員が、いわばのれん分けで新会社を立ち上げていた。

建屋を再建したあとに窯を直すことになった。驚いたのは協力金を寄せてくれる人々の多さだった。村内の知人たちは手作業で小屋を建ててくれた。8月、小さくてシンプルな新工房が姿を見せた。同月末、窯の会社が愛知県からはるばるやってきた。窯は直った。

再生したガス釜と新田さん。集落最年少だが、いつの間にか70歳を超えた

新聞炭鉢は年寄りでも誰でもできる

火災に遭う前、新田さんはこの窯でさまざまな陶器を焼いていた。コーヒーカップ、湯飲み、皿、花瓶、などなど。考えた末、新田さんは再生した窯を新聞炭鉢専用に使うことにした。「新聞炭鉢は年寄りでも誰でもできる。私たちにそれをやりなさいという神様のお告げやったかもしれん」と新田さんは言う。初の窯出しは10月末だった。60個の炭鉢ができていた。

焼きあがった新聞炭鉢
炭鉢で育つ山野草。炭鉢が根っこや苔で覆われていく

新聞炭鉢には「こつも炭丸」の名をつけた。土を入れ、山野草を植えると炭の鉢から根っこの先が出る。やがて根が鉢を覆い、まるで苔玉のような風情を醸し出す。排水性、保水性ともによく、使い終われば土に還るのもまたいい。新田さんは「自然に近く、壊れやすく、もろくはかない。千利休のわびさびを表現したような作品になります」。さらに続けて、「なによりお年寄りにもできるのがいい」。

新聞炭鉢で育てている食虫植物

作った炭鉢を村内のお年寄りに分け、お年寄りたちは身近な山野草を入れて育てる。いい感じで育ったらいろんなところで売ろう。クロード・モネの庭を再現した村内の観光施設「モネの庭」でも売ってもらおう。少しでもお金になればお年寄りに元気が出る、限界集落が活気づく、と考えている。

役場近くの集落で新田さんの同級生が食虫植物を栽培・出荷していたが、9月に亡くなった。新田さんは、彼が育てていた食中植物も炭鉢に入れたいと考えている。「こんな形でつなげていけたらえいなあと思って」と新田さん。

新聞紙が炭になり、植物と一体になってやがては土に還る。人々の思いがつながって、消滅へと進む集落に声が戻る。

© 株式会社博展