<レスリング>往年の全日本トップ選手が59歳で全日本選手権にエントリー…男子グレコローマン55kg級・土屋健(静岡・長泉ファイティングエンジェルス)

男女447選手がエントリーした2023年天皇杯全日本選手権で、最年長出場記録が破られる可能性が出てきた。全日本社会人選手権優勝の資格で男子グレコローマン55kg級にエントリーした土屋健(長泉ファイティングエンジェルス)は、マットに立てば「59歳7ヶ月1日」の出場となり、全日本選手権の最年長記録となる。

昨年、浅川享助(北杜クラブ=グレコローマン55kg級)が「51歳0ヶ月14日」で出場し、従来の「49歳10ヶ月12日」(2019年の川口智弘)を上回る記録を打ち立て、初めての50歳代での出場を達成したばかり。土屋が出場すれば1年で更新され、しばらくは手が届かない記録となる。

▲59歳での全日本選手権出場に挑む土屋健(左)。右は最年長出場の記録保持者の浅川享助

土屋は「自分が年をとった、という自覚がないんです。衰えを自覚するために出るようなものですね。致命的なけがでは困るけれど、ちょっとしたけがをして負けた方が(衰えを痛感して)いいのかもしれません」と笑う。今年7月の全日本社会人選手権でのマットは、約33年半ぶりの試合出場で、優勝する一方、あばらを痛めたという。

よりハイレベルの大会で、さらに自身の年齢を感じることができるか。「本当は(騒がれず)静かに出たいんです。でも、無理でしょうね…」と話す。59歳の全日本選手権挑戦がマスコミからまったくスルーされることはないだろう。

オリンピック代表を破って現役引退

旧姓・黒飛。1988年ソウル・オリンピックの時代を知っている人なら、男子グレコローマンで「黒飛健」という名前に思い当たるはずだ。静岡・修善寺工高時代に国体で2度優勝し、インターハイは3年生のときに2位。自衛隊に進んでレスリングを続け、1987年全日本選手権グレコローマン57kg級3位の実績がある。

自衛隊監督や全日本コーチを長く務めた伊藤広道さん(ソウル大会代表)と同期。52kg級でソウル大会の優勝を目指していた宮原厚次さん(1984年ロサンゼルス大会金メダリスト)のいい練習相手でもあった。

ソウル大会出場を逃したあと、同年の京都国体準決勝でソウル代表の中留俊司を破り、決勝で翌年全日本王者に輝いて世界4位入賞を果たした新進気鋭の藤岡道三を破って優勝。意地を見せた大会を最後に選手活動から引退し、自衛隊も退官。故郷で消防士の仕事に就いた。地元のキッズ教室で子供たちにレスリングを教えることはあっても、本格的なレスリング活動はしていなかったと言う(1989年全国社会人オープン選手権に「静岡クラブ」で出場した記録あり)。

▲左写真:1988年京都国体決勝で若手成長株の藤岡道三を破った土屋さん(赤)/右写真:表彰式。右から2人目が準決勝で破ったソウル・オリンピック代表の中留俊司

しかし最近、体重が70kgを超え、2年連続で「メタボ」と診断されて専門医からやせることを指示された。そこでダイエットに取り組み、2ヶ月で60kgを切るまでに体をシェイプアップ。その流れで全日本社会人選手権出場に踏み切った。

「35年近く、レスリングらしいレスリングはやっていなかったですからね」と、きつさを感じながらも、浅川(前述)相手に第1ピリオドで9-0のテクニカルスペリオリティ勝ち。あばらを痛めて、「第1ピリオドで勝たなかったら、続かなかったです」と振り返るものの、負傷を乗り越えての瞬発力は往年の全日本トップ選手の実力を感じさせる。

闘う相手には手加減なしの闘いをリクエスト

今度の全日本選手権では、そうはいかないだろうが、対戦相手に失礼な闘いをするつもりはない。一方で、自分が20代の現役バリバリのとき、59歳の選手が全日本選手権に出てきたら、「ふざけるんじゃない。ボコボコにしてやる、と思ったでしょう」と話し、相手選手には、一切の手加減をせず勝負の世界の掟(おきて)に徹して闘ってくれることを望んでいる。

全日本社会人選手権のとき、多くの知り合いから「けがするなよ」と言われたそうだ。今回、念頭にあるのは、「大けがをしないこと」。1988年以来、35年ぶりの全日本選手権挑戦は、どんな結果になるか。

なお、前述の浅川、川口とも今大会の55kg級と60kg級にそれぞれエントリーしており、マットに立てば浅川が「52歳0ヶ月13日」、川口が「53歳10ヶ月16日」での出場となる。

(注)地元クラブではコーチをやっていますが、選手としての記事ですので敬称は略します。

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