【水上恒司・7000字インタビュー】自分の感性を磨くために、意識していること

撮影/コザイリサ

福原遥&水上恒司がW主演を務める映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』が12月8日より公開となる。

SNSを中心に「とにかく泣ける」と話題となった小説を原作に、現代の女子高生・百合(福原)と、特攻隊員の青年・彰(水上)の時を超えた切ない恋物語を描く。

戦時中の物語ではあるが、直接的にその悲惨さを見せるのではなく、ラブストーリーを軸に戦争のむごさを伝えていくため、自分の本心が伝わるのか不安に思うこともあったという水上だが、彼が表現した彰という人物は十分にその役割を果たしている。なぜ彰は、そして百合は、最後にそんな選択をしなくてはいけなかったのか――

水上自身、そのあまりの優しさと強さに“妖怪”と例えた彰を、どんな想いを持って演じたのか、じっくりと語ってもらった。

【水上恒司】映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』インタビュー&場面写真

再び演じる特攻隊員役

撮影/コザイリサ

――出演が決まったときはどんな想いがありましたか。

僕が最初に芝居というものに触れたのは、高校演劇だったんですけど、そのときの役も特攻隊員でした。他にも、(原爆が投下された)長崎の高校に通っていたこととか、広島に親族がいるとか、同世代の人と比べると、わりと戦争というものに触れる機会は多かったと思います。

だから戦争に対する想いも大きかったのですが、今回、この作品をやる上では、そのような自分の考え方は少し不要なものでした。というのも、このお話は戦争の残酷な部分や、目を背けたい部分をメインとしているというよりは、あくまでも百合と彰のラブストーリーとして描かれているんです。そうすると、僕のこの戦争を伝えたいという想いは、彰を演じる上では不要というか、ブレーキにすらなる。

なので、お話をいただいたときは、これまで自分の中に抱いてきた想いと、実際に現場でやらなければならないこととの折り合いを考えました。そこは苦しいという感情にも近かったです。それだけに、こういった宣伝活動のなどの場で、自分の想いを伝えられればいいなと思っています。

©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会

――水上さん自身は、特攻隊員に対してどんな想いがあるのでしょうか。

僕には想像しがたいと思いました。なぜかというと、僕の中にはあの時代を生きていた方々のような愛国心というものがないというか。もちろん、日本に生まれてきて良かったと思うことはたくさんありますけど、日本のために何かをしなくてはいけないという感覚はないです。僕だけでなく、この時代に生まれた多くの若者がそうなのではと思います。

国のためにというよりももっと身近な、家族とか、家族の中でもこの人にためにとか、小さな単位になっている気がします。だから国のために敵陣に突っ込んでいくという彰を作ることができなくて、僕の中では百合の未来を守ることを理由にしたかったんだろうと考えました。

それから、この映画からは離れて、資料として触れた特攻隊員の方に対しては簡単には語れないと思いました。実際に特攻に出るはずが、その前に終戦を向かえて生き残った方のインタビューなどを拝見すると、とんでもない時代だったんだなと感じます。今の僕はそれを見て知ることしかできないです。簡単に言葉にしてはいけないと思いました。

©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会

――脚本を読んだときの感想を教えてください。

僕の中で、それまで彰は「特攻に行かないといけないんだ」という潔い部分しか見せていなかったけど、この瞬間は「百合ともっと生きていきたい」と思ったんだろうなと感じるところがあったんです。そんなふうに思ってしまう自分をダメだと思う気持ちもありながら、その瞬間は心では泣いていたと。抗うラブストーリーだなと思いました。

それから、百合は現代ならではの考え方を持っているので、戦争に対しての距離感が当時の人たちとは違うんですけど、そこで抗うからこそ、戦争というものの悲惨さが立ってくるとも思いました。

僕が意識して戦争の残酷さを表現しようとしなくても、作品が自然と表現してくれている。それは脚本を読んだときも、完成作を観たときにも感じました。

彰の魅力は「許し」

撮影/コザイリサ

――彰の魅力はどんなところだと思いますか。

「許し」ですかね。それは僕自身、ここ数年を過ごす中で感じたことでもあるのですが、「許し」って本当に能力がないとできないことだと思うんです。余裕があるときはできるけど、たまたま忙しかったり、つらいことがあって許すことができなかったりもする。

あるシーンで仲間の特攻隊員がその当時としては受け入れがたい行動をとるのですが、彰は責めないで許すんです。現代人からすると彰の行動はとても正しいことですけど、当時の人たちからするとそれができるのは大変な魅力だと思いました。それは(同じく特攻隊の)石丸(伊藤健太郎)や、寺岡(上川周作)もそうですけど。

物語の中で具体的に描かれてはいませんが、彰にも、石丸や板倉(嶋﨑斗亜)、寺岡、加藤(小野塚勇人)がいるから、特攻に出られるという想いもあったと思うんです。「一緒だから行けるよな」っていう男同士の友情みたいなものも。

今の考え方からするとそれもとても愚かですけど、当時はそれをせざるをえなかった中でその行動を責めずに許せるのはやっぱり彰の魅力だと思います。彰も悔しかったと思うんですけど、それを見せないのは彰の強さですね。

――ご自身と彰に共通点はありましたか。

彰には自分にはないからこそ、目指すべき点があると感じていました。僕はあれほど人のことを思ってできる表情や、掛けられる言葉を持った人間ではないので。彰は自分の想いは差し置いて、目の前にいる人が真っ直ぐ立っていられるように、明日もとりあえず生きてみようと思えるようにしてあげられる。百合を元気づけることも、仲間に対してかける言葉も。

自分が苦しくても「大丈夫」と言ってあげられる。「俺だって苦しいんだ」という想いがあるはずなのに、そこを見せずにニコっと笑ってあげられる。僕だったら感情がすべて表に出てしまうと思ったし、だからこそ、彰という役をやる意味があったのかなとも思いました。

撮影/コザイリサ

――演じる上で意識していたことは?

彰って達観し過ぎているというか、それこそ人間味がないと思うんですけど、そこは今回、僕が敢えてやっていたところで。人間味を見せないお芝居を心がけていました。

そんな彰を見て、百合に「なんでそんなに飄々としていられるの?」「悲しくないの?」「怖くないの?」という想いが沸いて、「このままの状態で行ってほしくない」とかって感じてほしいと思ったんです。そのためにもちょっとミステリアスな人物にしていきました。

僕が最初に出させていただいたコメントで、彰のことを「妖怪のようなイメージ」と表現したのですが、当時もそうですけど、現代でも「あんな人間っている?」というようなイメージがありました。

――具体的な動きで意識したところはありますか。

何事も丁寧にというか、育ちが良く見えるようにはしました。攻撃性がなく、何を言ってもこの人からとげとげしたものが出て来ないというような。そこが百合にとって、いい刺激になればとも思っていました。

©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会

――そんな水上さんを見た成田洋一監督から、「彰だけ別世界にいるよう」と言われたそうですね。

「彰だけ別世界にいる」というイメージは、成田さんからご提案していただいたことなのか、僕が自分から持ち込んで成田さんにそのように感じていただけたことなのか、記憶が曖昧ではあるんですけど、その言葉は、撮影の途中、わざわざ成田さんが僕に伝えてくださったものなんです。それはすごくうれしかったですね。

彰は仲間と一緒にはいるんですけど、その中でもちょっと浮いているというか。でも、そんな彰を仲間たちは受け入れている。

もしかしたら共演者の中には、「水上、なんであんな芝居をするんだ?」と思っていた方もいたかもしれませんが(笑)、僕は「これが佐久間彰」だと思っていたし、物語の中では誰もそこに疑いを持っていなかったと思います。

彰一人だけ、時間の流れが違うようで、それがまた百合にとっていい違和感になると思ったし、恋につながっていく一つの要素だとも思っていました。

――そういうお芝居をするのは難しくないのですか。

僕が目指したのは、極めて無駄なアウトプットをしないことだったんですけど、見えてるものは似ていても、何もしないことと、敢えてしないという選択をすることは全く違うものなんです。そこがまた紙一重な部分でもあって、観る人によっては、僕が何もしていないように見えることも、ある程度、想像はしています。

やることが多かったり、派手な言動やアクションをすればするほど、キャラが立ってくるものなので、逆に普通を演じるのは難しいんです。それに人によって普通と感じることも違いますし、時代によっても違いますし。

作品の紹介でも「普通の女子高生が時を超えて」とかって使いますけど、「普通」って言葉を先に出されるのは、役者にとっては難しいところでもあるので、そこは気を付けて演じないといけないところではありました。

福原遥との関係は「同士」

撮影/コザイリサ

――印象に残ったセリフや場面は?

詳しくは言えないのですが、ずっと完璧だった彰の人間味や弱さが見える場面があるんです。そこはそれまでとは違った彰だったからこそ印象に残りました。

――クランクアップはゆりの花が咲く丘でのシーンだったそうですが、その際の思い出は何かありますか。

役者にとっては永遠の呪いのような部分でもあるんですけど、やっぱり自分のお芝居の反省点が出てしまうんです。もちろんそのときはベストを尽くしているのですが、やっぱりあとから考えると「こっちだったかな?」ということはあります。プロとして正しいことかはわからないですけど、そういう想いを抱いたことが思い出に残っています。

――あの場所はどうでしたか。

遠かったですね(笑)。静岡なんですよ。でもあの斜面がなかったら、あんなにいいものは撮れなかったと思います。だから行って良かったです。それから、スタッフの方々の力もあってあのような素敵なシーンとなったので、その努力は忘れてはいないなと思います。

撮影/コザイリサ

――福原さんの印象も聞かせてください。

この映画は“戦争”というものを扱っているので、敢えて言うと、リスクもあると思うんです。今回はW主演ということで、その責任を負うのは僕ら2人でもあるから、福原さんは自分が演じる百合と同じように、彰のこともすごく考えてくれていました。だからこそ僕もその姿勢に応えたいと思える、すごくいい関係性ができたと思っています。同士ですね。

©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会
©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会

――それは徐々にそういう関係になっていったのでしょうか。

わりと最初からできていたと思います。そこが僕としてはうれしかった点でもありました。同世代で作品にかける熱量が一緒の方と出会えて、本当に良かったです。

――今回が2回目の共演となりますが、前回は気付かなかった点でもありますか。

そうですね。前回は役柄的にもあまり接点がなかったので、「今日、何食べました?」ぐらいの会話しかしていなかったので(笑)。お互いに敬語でしたし、そのときと比べるとお互いに対する理解は深まったと思います。

印象に残った内村光良の言葉

撮影/コザイリサ

――彰を演じていて苦しくなるようなことはなかったですか。

それはないです。僕は人殺しの役をやったこともありますけど、そんなに役に引っ張られることはないんです。役と自分をくっつけてしまうと、逆に芝居ができなくなってしまうとも思うので。

それよりも、自分の戦争に対する想いのようなものがこれで世の中に伝わるのかな?と考えると、苦しいと言ったら大げさですけど、近い感情はありました。僕が戦争に対して何も思っていないとは、思わないでほしいというか。僕の個人的なことで、誰のせいでもないんですけどね。

――その複雑な感情はどなたかに伝えましたか。

この作品に携わっている方々は知っています。そういう僕の想いを聞いてくださった方々には感謝しかないです。それを伝えた上で表現しないのと、伝えずに表現しないことでは違いますから。

撮影/コザイリサ

――時を経て、再び特攻隊員の役を演じるというのも縁がありますね。

僕、昭和を知らない世代なのに、なぜか昭和が似合うってよく言われるんです(笑)。顔立ちなのか、誤解を恐れずに言うと、中身の濃さなのか。

昭和って敗戦国というコンプレックスを持ちながら、その中でも懸命に生きようとした、日本が良かった時代だと思うんです。確かに、今のように物が豊富ではなかったかもしれないけど、何でも一から始めるみたいな時代だったから、そこに懸ける情熱のようなものがあったのかと。

たまたまその時代感と、僕が持っている素質が合っていて、「昭和が似合う」と言われるのかなと。自分ではそのように分析しています(笑)。

――当時と自分が変わったと感じるところはありますか。

演技に関しては、自分が今、どのようになっているかを見ようとする、客観的な目が持てるようになりました。当時はセリフを噛まないようにとか、次、誰のセリフだろう?とか、覚えなくてはいけないことで精一杯というお芝居をしていたと思います。

それと比べると、今は、噛まないようにというのはありますけど(笑)、自分をこういうふうに見せたいと思えているところは、大きな成長だと感じます。プロとしては当たり前のことですけど、素人がここまでくることは結構、大変なことだったので。

©2023「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」製作委員会

――劇中で、百合は彰がくれた言葉を深く胸に刻みますが、水上さんが、最近、誰かにもらった言葉で印象に残っているものはありますか。

この前、NHKの『LIFE!』(内村光良らが出演するコント番組)に出演させてもらったとき、僕が苦し紛れに「コントって何でしょうか」と尋ねたら、内村さんが「人生に捧げるものじゃないでしょうか」とおっしゃっていたことです。

僕は自分の人生は、自分が主演の舞台に立っていると思っていて、それを喜劇にしていきたいなって思うんですけど、そう考えている僕にとって、内村さんの言葉はとても素敵に響きました。面白く生きていけるヒントになるなと思いました。

閉じていれば傷つかずに済む。けど、何も動かない

撮影/コザイリサ

――出演作を選ぶとき、その作品が持つメッセージ性は考慮しますか。

僕は物事の好き嫌いが特にはっきりしているタイプなので、そんなことを言い始めたら仕事がなくなると思います(笑)。

「やってみたいな」と思うきっかけとなるのは、脚本とか、この人たちとやってみたいとか。一度ご一緒したことのある方々であれば、安心して任せられるとか。あとは自分にとって挑戦的なものかとか。作品の大きさよりも一役者としてやってみたいかどうかをまず考えます。

その作品を世に出すことの意義については、今やらせていただいているような宣伝活動などの際、自分の言葉として発していけるように、作品を作っていく過程や、完成したあとに考えます。

――では、改めて本作を世に出す意義を伺えますか。

この映画をきっかけにより多くの方が戦史を知ろうとしていただけたらうれしいです。学校では社会や日本史の時間に学びますけど、「日本ってどんなことをしてきたのだろう」ということを知り、その上で今、「世界はどうなっているんだろう」と、目を向けてもらえたらいいなと思います。

特に自分と同世代や、それよりも下の子どもたちが考えてくれたらいいなとは思いますが、世代を問わず、考える人が一人でも多く現れてくれたら、僕がこの映画に携われたことの意味がどんどん大きくなっていくのだろうと思います。

撮影/コザイリサ

――水上さんは個展を開催するなど、絵を描く活動もしていますが、そこにも何か伝えたいメッセージのようなものがあるのでしょうか。

絵を使って何かを伝えたいという想いはないです。画家ではないので(笑)。絵に関しては自分が描きたいと思ったときに、描きたいものを描いているので、逆に何かテーマを持って描いてくださいと言われても描けないです。

――そうすると、より素のご自身に近い表現になるのでしょうか。

自分と近いか、遠いかの二択で考えたら、近いほうではあると思います。ただ、だからと言ってお芝居が遠いというわけではないです。僕ではない人になるために、自分の感性や解釈を使っているし、そうしなければお芝居はできないので、その意味では遠くないです。

――それらの表現の源となるご自身の感性を磨くために、何か意識していることはありますか。

「開いておくこと」ですかね。世の中、知らないことだらけなので、その知らないことを知った気にならずに、常に自分の中に入ってくるように、体も心も「開いておくこと」だと思います。

閉じてる人の役を演じるのは、またそれも面白いんですけど、閉じてる人自体は魅力的とは言い難いですよね。けど、開いているとそれゆえに人に揺さぶられたり、心が弱くなったり、傷つけられたりする。だから、閉じていれば傷つかずに済む。けど、何も動かない。そのどちらがいいのかを考えたとき、僕は開いてるほうを選んでいます。


“戦争”を扱った物語ということもあり、インタビューでも言葉を選びながら、慎重にその想いを語ってくださった水上さん。その真面目で丁寧な姿勢は、ご本人は共通点がないと言いましたが、彰にもつながるものを感じさせられました。

80年近く前のお話ではありますが、現代にも共通する人が人を想い合う尊さを感じながら、今なお無くなることのない“戦争”について考えされる物語となっています。

作品紹介

映画『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』
2023年12月8日(金)より全国公開

(Medery./ 瀧本 幸恵)

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