登板すると巨人が勝つ方程式を確立!当時のNPB最速161kmをマークした剛腕とは!?【プロ野球助っ人外国人列伝】

助っ人外国人列伝/巨人投手編

日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ投打の名選手各5名と、印象深い選手を投打から各1名紹介する。

登板すると巨人が勝つ方程式を確立!マーク・クルーン

【投手4位】マーク・クルーン

〈NPB通算データベース〉
・勝利 14勝
・敗戦 18敗
・セーブ 177
・防御率 2.68

チャンスを掴むべく日本にやって来た

日本人選手にはない身体能力を駆使し、うなりを上げる速球で打者をねじ伏せる。そんな助っ人外国人投手を地でいくような投球でNPBを沸かしたのがマーク・クルーンだ。

ニューヨーク出身のクルーンは、MLBドラフト全体72位指名で地元球団のメッツに入団。当時から髪の毛を編み、帽子を斜めにかぶる出で立ちはまるでラッパーのようであった。

身長は188センチだが、長い手足をフル活用するフォームは豪快で、プロ5年目には163キロを記録。しかし、課題だった制球の悪さはまるで改善せず、メジャーを追われるような形で2005年に横浜ベイスターズに入団する。

ベイスターズでのクルーンは、当時の監督だった牛島和彦から投球の改善指導を受け、軸足に重心を置くフォームに矯正した。また、守護神だった佐々木主浩からも日本野球の考え方などメンタル的なアドバイスをもらい、指摘されていた制球力が大幅に改善する。

セットアッパーとして存在感を見せると、怪我で離脱した佐々木に変わってストッパーに定着。NPBでは長らく160キロ超えが見られなかったが、クルーンは登板ごとに球速が上がり、7月の阪神戦で当時NPB最速の161キロをマークした。

登板するとチームが勝つ方程式を確立

クルーンは150〜160キロ代のストレートと高速フォークを武器に、1年目から26セーブ、6ホールドの成績を残すと、2〜3年目はさらに安定感を増した投球を披露。アメリカ時代とは見違えるような制球力を見せ万年Bクラスだったベイスターズで、3シーズン合計84セーブを記録した。

ただ、好成績と比例するかのようにクルーンの年俸は高騰し、2008年から巨人でプレーする。新天地の1年目は先発に復帰した上原浩治に代わるストッパーとして球界最速男ぶりを発揮して41セーブをマーク。来日4年目で念願のセーブ王に輝き、チームのペナント制覇に大きく貢献している。

なお、巨人のセーブ王誕生は1993年の石毛博史以来15年ぶり。リードの場面でクルーンにつなげば勝利が目前の方程式が完成し、頼れる守護神の登場にファンは胸をなで下ろした。

2009年は前半戦の登録抹消が続いて46試合の登板、27セーブに終わったが防御率は1.26と優秀な数値を記録。クライマックスシリーズと日本シリーズの重要な場面でしっかりと試合を締め、チームを7年ぶりの日本一に導いている。人気球団の巨人でも絶対的な守護神として活躍したクルーン。日本で覚醒した助っ人投手として絶頂期の順風満帆に見えた。しかし……。

人気球団ゆえのストレスでイライラ病が爆発

2010年はこれまでにほとんどなかった被本塁打が増えると、修正したはずの制球力が再び悪くなってしまう。7月の中日戦では、3連続四球後にサヨナラ本塁打を浴びると乱調ぶりに拍車がかかり、かつての輝きが嘘のようにセーブ失敗を繰り返した。

人気球団ゆえの宿命か、マスコミやファンから非難を浴びたクルーンは常にイライラしながらマウンドに上がり、登板してボールが2球ほど続くとそれだけで球場がざわざわし始める。そして、四球を出しては痛打を浴びる「クルーン劇場」。これではとても守護神と言えない。

このような登板が続いた同シーズンは25セーブを挙げるも、自責点24、防御率・4.26で自由契約になってしまった。

後味の悪い形で日本を去ったクルーンはメジャー復帰を試みるも、昇格できず2012年に現役を引退。現在は日本で稼いだビッグマネーで悠々自適に暮らしているという。

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