16歳で両足を切断後、モデルとして活躍 「障がい・健常は関係ない」前向きに生きる彼女のマインドに迫る

モデル・パフォーマーとして活動する葦原海(あしはら みゅう)(以下、みゅう)さんは高校生のときに事故に遭い、両足を切断している。車いすユーザーとなったみゅうさんは、自身について赤裸々にSNSに発信しており、多くの方に勇気を与えている。

今回みゅうさんに、事故当時の心境や今後の活動について話を聞いた。

事故から1ヶ月先まで足がないことに気づかず

16歳のとき交通事故に遭ったみゅうさん。目が覚めたのは、事故から約10日経った頃だった。ぱっと目が覚めたとき、母の泣き顔が見え、医師から「両親がいるのわかりますか?」と聞かれた。みゅうさんは頷くと、薬の影響もありすぐに眠ってしまった。

日が経つにつれ、少しずつ起きている時間が増えたものの、両足が切断されたことはすぐには気づかなかった。
本来であれば足の切断をする際、本人の同意のもと切断されるが、一刻を争う事態だったため、医者とみゅうさんの両親が相談した結果切断された。そのため、医者も両親もどのタイミングで打ち明けるべきか慎重になっていたという。

自身のYouTubeチャンネルにて、両足を切断した理由について赤裸々に語っている(@myu_ashiharaさんより提供)

足がないことに気づいたのは事故から1ヶ月が経った頃だった。

「自分から聞いたんです。骨盤を骨折していて、包帯を巻いていたため『あまり動かさないでね』と言われていました。あるとき、シーツがずれてしまったので直そうとしたとき、下半身には病院着を着ていないことがわかりました。それで足元を触ったとき、ビニールのような触り心地がしてなんでだろうと思いました。お医者さんが定期的に回ってきてくれるんですが、そのときに足ってどうなっているんですか?ないんですかね?と聞いたんです。お医者さんたちは打ち明けるタイミングを慎重に考えていたので、後日、面会のときに改めて伝えられました」

点滴が繋がっており手も動かせず、骨盤を骨折していたため自分がどういった状況かわからなかったみゅうさん。鏡を見ることもできなかっため、顔に大きな負傷を追っているのか、手に麻痺が残っているのかとモヤモヤしていたという。

元々アウトドアで1日中家にいることがなかったというみゅうさんは、24時間ベッドにいるのが苦痛だった。足がないと知ったときは「(顔や手ではなく)足なんだ!」とモヤモヤした気持ちが晴れた。
医師からの説明を聞いて、第一声は「いつ退院できますか?」だった。この言葉は母親を驚かせ、現在もその時の感情は鮮明だという。

「とにかく退院したい気持ちが大きかったんです。リハビリはいつからできるのか、車いすはいつから乗れるのかなど質問していました。今生きていることが大事なので、両足切断したことに対してネガティブな感情を抱くわけではなく、先のことしか考えていませんでした」

両足を切断した理由について赤裸々に語っている様子(@myu_ashiharaさんより提供)

早く退院したかったみゅうさんは、事故から半年が経たない頃にリハビリを始めた。トイレやお風呂など日常生活のリハビリから筋トレなど積極的に行った。
みゅうさんは、「リハビリの時間が好きだったんです。ベッドにいるより、訓練士さんとお話しできるので。『どこまでできるようになれば退院できますか?』と聞いていました」と話す。

1日2時間程度のリハビリを行い、半年で退院。退院を心待ちにしていたみゅうさんは、「待っていられない!と思って、発注した自分の車いすが届く前に退院したんです」と話してくれた。

肩書は”お手本”という意味のモデル

葦原みゅうさん(@myu_ashiharaさんより提供)

現在、モデル・パフォーマーの他に、市区町村や学校、企業のイベントなどでトークショーや講演会、地方イベントのMCなどを行っているみゅうさん。さらに、旅館や観光地に訪れ、バリアフリーの視察を行い、アドバイザーとしても活躍している。

幅広く活躍しているみゅうさんは、「“ファッションモデル”など肩書に捉われず、様々な取り組みが誰かのお手本になったらいいなという思いで、本来の“お手本”という意味のモデルという肩書で名乗っています」と話す。

もともと表舞台には興味がなかった

ミラノコレクションにも出演したみゅうさんだが、もともとは表舞台にまったく興味がなかったという。両足切断前、テレビの大道具さんや美術さんなど裏方の仕事に興味を持っていた。しかし、車いすの学生が入学した前例がないとのことで、行きたかった専門学校に行くことができなかった。

そんなある日、テレビの番組に呼ばれたときがあった。番組の裏方の仕事を見たいという思いで参加したみゅうさんであったが、自分が表舞台に立った時、どういう人が見ているんだろうと考えたという。

「内容としてはパラリンピック、パラスポーツを知ってもらうためのイベントを番組で開催していたのですが、見ている人に偏りがあると感じたんです。参加者は障がいを持っている方やそのご家族、福祉系の学生さんが多く、後日声かけてもらった方も同様で、見ている人のほとんどが当事者や障がい者を支援している方だったんです。
パラスポーツをもっと知ってもらうという趣旨だったのに、広まっていないのではと感じました。その時に、障がい者に接する機会がない方に向けて、作り手側ではなく、自分が発信していったほうが早いのではないかと思うようになりました」

車いすで生活することで、車いすユーザーとしての気づきや発見がある。そういった気づきを自身のSNSやアドバイザーとして活かすようになった。

誰かの背中を押すきっかけになれば

みゅうさんのSNSには、「勇気をもらっています」などのコメントが届くことが多い。両足を切断したことについて、一度もネガティブな感情を抱くことなく、前向きな発信をしているみゅうさんのマインドはどこからきているのだろうか。

「私はポジティブに生きようと考えて生きていないんです。自然とそう考えているだけ。知らないことを知るのは楽しいし、視野が広がることが嬉しいと思うタイプなんです。だから昔からやりたいことがいっぱいあって、考え込む時間がないんだと思います。ネガティブな気持ちになったり落ち込んでしまったりすることも少なからずありますが、そういうときこそやりたいこと楽しいことを考えるようにしています。落ち込んだ状態から普段の精神状態に戻したうえで、そのときのことを振り返るようにしています」

中には健常者から「逆に勇気をもらっています、すみません」とコメントをもらうこともあるという。しかし、みゅうさんはそういったコメントに対して「“すみません”はちょっと違うかなと思っていて…健常者と障がい者は関係なく、人それぞれ落ち込んでいるときとハッピーな時があると思います。そういうときはハッピーな人が落ち込んでいる人を助ければいいと思っているので、立場関係なく明日を生きる一押しができればと思っています」と話してくれた。

みゅうさんの発信を見たユーザーからは「卒業文集で書いていいですか?」や「福祉の勉強で作文に書いていいですか?」などのコメントが寄せられることもあり、自身の発信から生活に役立っていることに喜びを感じるという。

物事を前向きに捉えるみゅうさんだが、ネガティブな発信についても悪いことではないと話す。

「周りから見て私はポジティブに生きている印象があるんだと思います。けど私はポジティブ=えらいとは思っていなくて。ネガティブなことも悪いは思っていません。ネガティブな発信は、人に共感を与えたり、誰かの悩みに届くこともあると思います。だからどんな発信でも、誰かの背中を押すきっかけになるといいなと思っています」

両足を切断したことで考え方にも少し変化があったという。未来に対して「将来こうしたいな」と楽しみを抱いていたみゅうさん。そのときに苦痛なことがあっても、大人になったらできるようになればいいやと考えていた。
しかし、事故に遭ってからは、“今を充実させよう”と強く思ったという。

そんなみゅうさんに今後どんなことをしたいのか聞いた。

「海外で仕事をしてみたいです。今もミラノコレクションなどお仕事をする機会がありますが、行ったことがない海外に行って、知らない文化に触れてみたいです。あと、今年は本を出したけど、来年とかはドラマや映画とかに出てみたいです。今の仕事でいうと、もっと活動範囲を広げたいです。行っていない街や学校で講演会に出てみたいです。SNSで発信しているような動画だけでも、私の発信で後押しされている方がいるんですが、リアルだったらもっと多くのことを伝えられると思うんです」

やりたいことをたくさん話してくれたみゅうさん。今をとことん楽しむみゅうさんの挑戦は、今後も続いていく。

ほ・とせなNEWS編集部

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