アンミカ ティッシュを皿代わりに食事、4畳半で7人暮らし…光の原点は暗闇の幼少期

《冬の澄んだ空の花火は綺麗~ 今日のHappy&Lucky》

12月10日、季節外れの花火の動画とともに、自身のInstagramにこうつづったのはファッションモデルのアンミカ(51)。“ポジティブモンスター”と称され、多くのテレビ番組やCMに出演するアンミカだが、そこに至るまでには壮絶な幼少期があった――。

’72年に韓国・済州島で生まれたアンミカは、3歳の時に一家で大阪に移住。両親が仕事を求め日本に渡ったものの、貧しい暮らしを送っていたようだ。

’19年3月に放送された『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系)で「他人の家の2階に住んでいた」といい、さらにこう語っていた。

「4畳半の7人暮らし。台所は1階で共用。風呂のある家には住んだことなかった。銭湯と、部活のシャワー浴びてきたり……」

当時のアンミカの生活状況を芸能関係者が明かす。

「アンミカさんは’21年に出演したテレビ番組で、『部屋が狭かったため、地べたに座って生活をしていた。ティッシュを床に置いて皿代わりにして食事をとることもあった』と話していました。また家のテレビは、拾ってきたものだったと言います」

中学生の頃には母親がガンに罹患し、その治療費などで家計が傾く。その時アンミカは家族を支えるため行動に出た。

「中学1年生から朝3時半には起きて新聞配達をしていたそうです。部活動にかかるお金などを自ら捻出していたといいます。

闘病の末、アンミカさんが15歳の時にお母さんは亡くなったそうです。アンミカさんは『スタイルがいいのでモデルになれるかも』とお母さんから言われていたことがきっかけで、モデルを志し、新聞配達のアルバイトと並行して15歳からモデルとしても働き始めました」(芸能関係者)

そして努力の末、23歳の時にパリコレデビューを果たしたアンミカ。その後、日本などでモデルやタレントとして活動し、’12年にはアメリカ人実業家と結婚。`17年からは前向きなキャラクターで大ブレイクを果たし今に至る。

’23年7月にWebメディア『Woman type』のインタビューで、《暗闇にいたからこそ、光のありがたみが分かる》と語っていたその言葉通り、花火のように光り輝く今の彼女の原点には“暗闇”の幼少期があった。

© 株式会社光文社