阿房列車 不明の直筆原稿2編発見 青森の個人、吉備路文学館に寄贈

吉備路文学館に寄贈された内田百閒の直筆原稿

 岡山市出身の小説家・随筆家内田百閒(ひゃっけん)(1889~1971年)の代表作「阿房(あほう)列車」シリーズ(全15編)で不明だった2編の直筆原稿が青森県の個人宅で見つかり、12日までに吉備路文学館(岡山市北区南方)に寄贈された。同シリーズの直筆原稿は、岡山県郷土文化財団が残る13編を所蔵しており、今回の寄贈で、全ての原稿が岡山に集うこととなった。同館は、来年1月5日から館内2階ホールで「おかえり阿房列車」と題して2編を公開する。

 〈なんにも用事がないけれど、汽車に乗つて大阪へ行つて来ようと思ふ〉の一文で知られるシリーズは、1950~55年に執筆された百閒屈指の人気作。週刊誌に連載された後に全3巻の単行本となり、今回見つかった「不知火(しらぬい)阿房列車」(単行本では「列車寝台の猿―不知火阿房列車」)と「山陰本線阿房列車」(同「菅田庵の狐―松江阿房列車」)は、「第三阿房列車」に収録された。

 「不知火阿房列車」は原稿用紙140枚、「山陰本線阿房列車」は103枚で、「週刊読売」の印が押されている。青インクの万年筆で書かれ、推敲(すいこう)の跡が点在。編集者に宛てた〈假名(かな)遣ヒハ必ズ原稿通リニ〉とのただし書きもあり、同財団の万城あき主任研究員は「戦後も旧字体と旧仮名遣いを貫いた百閒らしいこだわりが感じられる」と話す。

 この2編を除く「阿房列車」の原稿は、鉄道旅の同行者だった平山三郎氏(2000年没)の遺族が郷土で百閒を顕彰する同財団に寄贈。一部は青森の出版社・津軽書房の封筒に入っていたという。万城主任研究員によると、百閒没後の1976年、津軽書房が全編を収録した「阿房列車」の限定版を刊行しており「出版のために平山氏が原稿を青森に送り、2編がそのままになっていたのでは」とみる。

 「不知火阿房列車」では、百閒が岡山駅での停車中に、岡山に住む幼なじみの「眞さん」から大好物の大手饅頭(まんじゅう)を手渡される場面が登場。10代まで過ごした岡山の思い出を大切にするあまり、ほとんど帰省しなかった心情もつづられている。吉備路文学館の明石英嗣館長は「地元にゆかりの深い原稿が古里に届いた。貴重な資料を多くの人に見てほしい」と話している。

 原稿の公開は1月31日までの予定。

内田百閒(岡山県郷土文化財団所蔵、小石清撮影)

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