激ヤセ&休養の神田正輝 不倫疑惑の聖子を擁護、沙也加さん急逝直後もMC継続…困難乗り越えた気丈人生

23年7月、『旅サラダ』出演のため羽田空港に向かう神田

『朝だ!生です旅サラダ』(ABCテレビ・テレビ朝日系)を4週連続で欠席した神田正輝(72)。11月18日の放送では「72歳で初めて体のメンテナンスをすることになりました」と報告。

すぐに復帰するかとおもいきや、25日の放送も欠席。さらに、12月2日の放送では、「神田さんは現在、体のメンテナンス中で、しばらくお休みをいただくことになりました」とアナウンスされ、復帰の見通しは現状立っていない。

ここ半年ほどで白髪が増えたり激やせしている神田に対しては、不安を抱くファンも多かった。番組への欠席が明らかになった際には、ネットニュースのコメント欄やSNSには体調を気遣う声が相次ぐことに。また同時に、《神田正輝は芸能人の男性に全然興味がない私でも魅力を感じる人》《本当かっこいいオジサマですよね》と、神田の魅力について絶賛する声も寄せられていた。

そこで、今回はさまざまな波乱を乗りこえてきた神田の気丈な人生を振り返りたい。

■「冷やかしで1本」のつもりが、そこから7年休みなしに

1950年12月21日、女優・旭輝子の長男として生まれた神田。運動神経抜群で、特にスキーの腕はプロ級。芸能界に入る前は、スキー板のテスターのアルバイトをしていた。野外アクティビティが大好きで“山小屋のおやじになりたかった”という神田が、芸能界入りするきっかけとなったのは、’73年の石原裕次郎さんとの出会いだ。

’16年、本誌のインタビューで神田はその出会いをこう振り返っている。

《赤坂で知人を介して偶然会ったんです。そのあと、『役者をやる気はないのか』と言われて『ありません』と(笑)。うちが赤坂にあったから、母のところに役者仲間がよく来ていて、それを見ていたから、僕は化粧している男が大っ嫌いだったのよ》

スキーを続けたいという思いがあったが、スキー仲間は“やってみたら”と背中を押したという。そのため、試しに“冷やかしで1本”と出てみることに。しかし、“1本”の単位は思っていたのと違ったようだ。

《『冷やかしで1本』と言ったら1話だけで終わりだと思うでしょ。それが、1話から最終回のことで。僕はスキーで山に行かないといけなかったから、石原さんに言って行かせてもらった》

《でも、『頼むから帰ってきてくれ』と電話がかかってきちゃって。そこから7年間休みがなかった(笑)》

休みがなくなったとの通り、’76年に日本テレビの連続ドラマ『大都会―闘いの日々―』(日本テレビ系)で俳優デビューしてからというもの、話題作に続々と出演。’80年からは『太陽にほえろ!』(同)にドック刑事役として出演。スキーがうまいという設定もとりいれられたこのキャラクターは、番組を大きく盛り上げる存在となった。

■聖子との結婚と別れ…不倫疑惑も寛容に受け止めた

’85年2月、映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演していた松田聖子(61)との交際が発覚。その1カ月前に聖子が郷ひろみとの破局を報告していたため、あまりに急な展開に世間は驚愕。その後、同年4月に婚約、6月に挙式ととんとん拍子に進み、’86年10月には沙也加さんが誕生した。神田も育児に積極的に参加していたようで、当時1歳の沙也加さんとのこんなエピソードも。

《風呂で頭を洗うのをいやがるんです。30まで数えないと湯ぶねから出ちゃダメというと、ベソかきながら数えています》(『週刊女性』’88年10月4日号)

本誌も、’90年10月に行われた沙也加さんが通う幼稚園の運動会に、大きなお弁当を手に一般の父兄と同じように参加する神田と聖子を目撃している。

あたたかい家庭を築いていた神田と聖子だが、’90年代に入ると聖子に関して不穏な噂が流れるようになる。当時聖子はアメリカ進出を目指していたが、その過程で出会ったアメリカ人タレントとのキス写真が報じられたり、関係について綴った暴露本を出版されるなどしたのだ。

「神田さんは聖子さんに不倫報道があっても『それより仕事を頑張れ』とか、『おまえも立場が立場だけに、気をつけてね』などと受け止めてきました。神田さんがあまりに辛抱強いので週刊文春から『男は黙って神田正輝!』なんて、応援する記事がでるくらいでした」(芸能記者)

しかし、’97年1月、神田と聖子はついに離婚を公表。それでも神田の聖子を守る気持ちは変わらなかったようだ。離婚後に出演したテレビ番組では聖子についてこう語っている。

「いい人だよ。すごくいい人よ。がんばってるし、エラいけなしたり、目の前で文句いわれたら、やっぱり腹立つよね。仲間ではあるんだけど、そばにいないから守ってやれない。かわいそうだな。してあげられないってのもあるわな。縁は運命ではなくて、自分の意志で作ったものだからね」(’98年1月12日放送『ときめき2泊3日』フジテレビ系)

■旅サラダではダジャレを連発し、新たな恋人とも出会う

離婚した年の4月からは、『旅サラダ』2代目総合司会に就任。そこでは、これまでの俳優としてのキャリアではあまり見せてこなかった、より親しみやすい一面を披露するように。神田は、番組内で大好きなダジャレを連発。いつのまにか神田のダジャレは『旅サラダ』の名物といわれるようになっていった。今年7月には、ブドウのおいしさを表現しようと「感動(神田)まさき」と渾身のフレーズを放つも、共演者全員に無視されるという衝撃的なシーンが話題になった。

「また、『旅サラダ』へのゲスト出演をきっかけに、23歳年下のモデル・長谷川理恵さんとも交際しています。’10年12月に週刊誌報道で交際が発覚すると、以後、長谷川のブログなどで仲睦まじい様子を披露してきました。ただ、神田さんが再婚に慎重だったことから、’12年1月に破局しています」(芸能記者)

神田にとって公私ともに、重要な存在となっている“旅サラダ”。番組へかける思いは相当なもので、沙也加さんの訃報から1週間後となる’21年12月25日にも神田はいつも通り『旅サラダ』に出演していた。

’22年3月に行われた『旅サラダ』のイベントでも「僕が知る限りでは生放送の旅番組では日本最長。僕がいつまで続くか。死ぬまでというわけにはいかないので、頑張りますけども、一重にみなさんが楽しんでくださるのがうれしくて、僕らファミリーが頑張っています」とコメント。司会としての気合が感じられる。

そんな神田が発表した突如の休養。直近では“大好きな旅サラダに出られないほどだから、状態は芳しくないのではないか”との報道も出ているが、メンテナンスを終えて、また元気な姿を見せてくれることを祈るばかりだ。

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