白人ロック専門 “MTV” にマイケル・ジャクソン登場!多様性の時代は本当に始まったのか?  1983年3月10日、MTVは初めてマイケル・ジャクソンの映像を放送!

教養としてのポップミュージック Vol.2

1981年8月1日、MTV開局。最初に流されたのは「ラジオ・スターの悲劇」

1989年11月24日、米国の音楽専門チャンネル『MTV:Music Television』で『Top 100 Videos Of The 80's』という番組が放送された。要は、1980年代にMTVで最も流されたミュージックビデオの上位100曲が紹介されたという訳である。

もちろん、当時はまだ『MTV Japan』の放送開始前だったので、日本に住んでいた僕は観ることができなかったのだが、この番組で発表されたランキングのデータをインターネットで見つけたので、今回はこれについて考察したいと思う。まずは、MTVの開設からそこに至る経緯について、簡単に触れておこう。

MTVが開局したのは、1981年8月1日のことである。最初に放映されたミュージックビデオがバグルスの「ラジオ・スターの悲劇(Video Killed The Radio Star)」だったというのは有名な話だが、この時、MTVが事実上の白人専用チャンネルだったことを、皆さんはご存知だろうか。

MTVは開局から最初の24時間に116曲分のビデオを延べ209回放映したが、62曲目に白人黒人混成バンドであるザ・スペシャルズの「ラット・レース」が流れるまで、非白人アーティストが画面に登場することはなかった(但し、バック・ミュージシャンとしては、3曲目に放映されたロッド・スチュワートの「ダンスは一人じゃ踊れない(She Won't Dance With Me)」で、ジャマイカ人ベーシストのフィル・チェンが演奏している)。

MTVに却下されていた「スリラー」関連のミュージックビデオ

風向きが変わったのは1983年のことだ。マイケル・ジャクソンと彼の所属レーベルのCBSレコード(現:ソニーミュージック)は、MTVに対してニューアルバム『スリラー』関連のミュージックビデオの放映を申し入れたが、MTVは当然のように却下する。

だが、当時のCBSレコード社長ウォルター・イエトニコフは、黙っていなかった。なんとMTVに対して「マイケル・ジャクソンを流さないのなら、ビリー・ジョエルやジャーニーなどCBSの人気アーティスト達を引き上げる」と交渉したのだ。結局、折れざるをえなくなったMTVは、同年3月10日、初めて「ビリー・ジーン」を放映したのだった。

その後の経緯は、皆さんもご存知の通りだ。MTVは手の平を返すようにマイケル・ジャクソンを流し続け、『スリラー』は史上最大のヒットアルバムとなった。

こうしてMTVで非白人アーティストの動画が普通に流れるようになったことは、冒頭に紹介した『Top 100 Videos Of The 80's』のランキングからも見て取れる。100曲の中にマイケル・ジャクソンが4曲、ホイットニー・ヒューストン、プリンス、ジャネット・ジャクソン2曲ずつ、他にも何人かの非白人アーティストの作品が1曲ずつ入っている。

音楽メディアにおける多様性は本当に始まったのか?

だが、この事実をもって、音楽メディアの “多様性に対する許容度” が上がったと言い切れるかというと、正直微妙なところだ。というのも、今から紹介する上位10曲の顔ぶれを見たら皆さんも気づくはずだが、10曲中9曲が白人男性アーティストの作品なのである。

実は、僕は以前リマインダーのコラム教養としてのポップミュージック【デュエットソング TOP10】多様性の時代が始まった!で、1980年代に入ってから黒人と白人のデュエットが量産されるようになったことを理由に “多様性の時代が始まった” と書いた。だが、今回MTVのランキングを見て、その考えは少し揺らぎ始めている。一方で、ただ単に質の高いミュージックビデオの多くが、たまたま白人アーティストの作品だったという話かもしれない。なので、そのあたりも含めて、まずは皆さんにもTOP10の作品を見て(観て)頂きたいと思う。

【第10位】 ジェネシス 「混迷の地(Land Of Confusion)」

アルバム『インヴィジブル・タッチ』に収録。ビデオには、英国の人形劇「スピッティング・イメージ」によってグロテスクなまでにデフォルメされたパペットが次々に登場するので、正直ちょっと気持ち悪い。メンバー3人だけでなく、レーガン大統領夫妻(米国)、サッチャー首相(英国)、ゴルバチョフ書記長(ソ連)、ホメイニ師(イラン)、カダフィ大佐(リビア)らが登場する、とても風刺的な映像で、当時は賛否両論が巻き起こった。

【第9位】 インエクセス 「ニード・ユー・トゥナイト / メディエイト」

1988年のMTV最優秀ビデオ賞(Video of the Year)作品。アルバム『Kick』に収録。元のビデオでは「ニード・ユー・トゥナイト」と「メディエイト」がメドレーで繋がっている。廃工場のような場所でメンバーが代わりばんこに単語の書かれたフリップを投げ捨てていく様が、まるでボブ・ディランの「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」である。なお、途中に出てくる「981945」は、1945年8月9日、つまり長崎に原爆が投下された日を意味しているらしい。

【第8位】 ブルース・スプリングスティーン 「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」

アルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に収録。ビデオはブルース・スプリングスティーンとEストリート・バンドによるライブ映像が中心だが、音源と映像がびっくりするほど同期していない。ただ、動画の後半ではベトナム帰還兵、アジア系の子供、工場の板金工、墓地などの映像が次々に挟み込まれるので、米国人でなくても彼の言いたかったことが少しだけ解る気がする。最後の星条旗の前で振り返るボス自身の姿が、とても象徴的だ。

【第7位】 ガンズ・アンド・ローゼズ 「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」

アルバム『アペタイト・フォー・ディストラクション』に収録。1980年代に発表されたミュージックビデオとして、初めてYouTubeの再生回数が10億回を突破した。バンドのリハーサル風景を収録したモノクロの映像は、なかなか味がある。ボーカルのアクセル・ローズが恋人のエリン・エヴァリー(エヴァリー・ブラザーズのドン・エヴァリーの娘)に捧げた曲で、彼女もビデオに出演しているが、2人は後に結婚、そしてわずか10ヵ月後に離婚してしまった。

【第6位】 ZZトップ 「レッグス」

1984年の最優秀グループビデオ賞(Best Group Video)作品。アルバム『イリミネイター』に収録。行く先々で嫌がらせを受けていた靴屋の女性店員が、謎の美女3人組の登場をきっかけにハッピーに転じるという、しょーもない内容のビデオだが、その馬鹿馬鹿しさに何故か中毒性がある。でも、僕のお気に入りは、動画の中に登場する “もふもふ” な毛皮に覆われたギターとベースだ。

【第5位】 ボン・ジョヴィ 「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」

アルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ(Slippery When Wet)』に収録。このビデオは、1986年から87年にかけて行われたワールドツアー “Slippery When Wet Tour” の記録映像である。リハーサルや移動中も含めて、彼らの巡業暮らしの様子を垣間見ることができるので、きっとファンにとっては、どれほど豪華な演出よりも嬉しいプレゼントに違いない。

【第4位】 デフ・レパード 「シュガー・オン・ミー(Pour Some Sugar On Me)」バージョン2

アルバム『ヒステリア』に収録。この曲には2つのビデオが存在する。『Top 100 Videos』にライクインしたのはMTV用に制作されたバージョン2(米国版)の方で、ライブをそのまま収録したものだ。バージョン1(英国版)は、廃墟となった邸宅の一室でバンドが演奏していて、そこを屈強な土木作業員の女性が解体しようとしている…というもので、この曲に影響を及ぼしたRun-D.M.C.の「ウォーク・ディス・ウェイ」を少しだけ彷彿とさせる。

【第3位】 ダイアー・ストレイツ 「マネ-・フォ-・ナッシング」

1986年のMTV最優秀ビデオ賞(Video of the Year)作品。アルバム『ブラザーズ・イン・アームス』に収録。87年に「MTV Europe(現:MTV Global)」が開局した際に最初に放映された楽曲にもかかわらず、実は歌詞の中でMTVに出ているスターたちを思いきり皮肉っている。かと思えば、後ろでスティングがポリス「高校教師(Don't Stand So Close To Me)」のメロディーに乗せて「I want my MTV」とコーラスしていたり、何だかよく解らない所が面白い。

【第2位】 ピーター・ガブリエル 「スレッジハンマー」

1987年のMTV最優秀ビデオ賞(Video of the Year)作品。アルバム『So』に収録。ビデオは、全編に渡ってピーター・ガブリエル本人をコマ撮りした映像をクレイアニメに繋ぎ合わせた形で作られているが、とんでもなく手が込んでいて頭が下がる。まさにMTV時代の傑作である。この前衛的・実験的な映像表現、面白さと気味悪さが同居する感じの世界観に触れてしまうと、彼がなぜジェネシスを脱退したのか、ちょっと解った気がする。

【第1位】 マイケル・ジャクソン 「スリラー」

ポップス史上最高売上アルバム『スリラー』に収録。文句なしの1位。あの時代を生きた人間の中に、この約14分に及ぶショートフィルムを観たことがない人など1人もいないんじゃないか… と思えるような作品だが、最近では「ハロウィンを象徴する1曲」になっているらしい。とにかくこの曲の登場によって、ミュージックビデオが単なる “レコードを売るための販促ツール” ではいられなくなったのは、間違いないだろう。

多様性の時代が始まる “きっかけ” になったマイケル・ジャクソン

ということで、上位10曲を見てきたが、白人アーティストの作品ばかりの中で、非白人アーティストによる「スリラー」が1位になったこと、そしてその作品が新しい価値観を世の中に提示したことは、“多様性” の観点からもとても大きな意味を持っている。もちろん、世の中が一朝一夕には変わらないことを僕たちは知っているが、少なくともマイケル・ジャクソンがMTVに登場したことが、多様性の時代が始まる “きっかけ” になったということは、断言してもいいのではないかと僕は思うのである。

カタリベ: 中川肇

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