江戸時代の「車石」知っていますか?きっかけはブラタモリ、自宅で展示始めた男性の思い

牛車と車石の模型を手に持つ谷口さん。民家に置いてある車石は歩いて探したという(大津市松本2丁目)

 自宅の引き戸を開けると、壁に石の写真が所狭しと並ぶ。大津と京都を結ぶ逢坂山の東海道で、牛車をスムーズに通行させる目的で敷かれていた「車石(くるまいし)」の展示を、谷口英信さん(81)は今年から始めた。「道ゆく人にも気軽に見てもらいたい」という思いから、扉を少し開けて外から見られるようにしている。

 車石は牛車による米輸送が行われていた江戸時代、車輪がぬかるみに埋まることがないようにと、逢坂山の峠道で両輪の幅に合わせて線路のように置かれた。初めは平らな石だったが、牛車が通行することですり減り、U字型のへこみがあるのが特徴だ。

 旧東海道に面する自宅に長年酒屋を構え、3代目店主として営業していたが、消費増税への対応を契機に、4年前に店を閉じた。これまで酒を売っていたスペースを活用して、古書店から集めたかつての滋賀県大津市中心部の地図を集めて並べた。

 そんな中、5月にNHKの人気番組「ブラタモリ」が京都・山科の車石について取り上げた。逢坂山を挟んで山科と隣接する大津には、詳細に展示している場所がなく、自宅に作ることを思い立った。室内には、各地で撮影した車石の写真のほか、原寸大の車石のレプリカを飾った。「今でも残っている車石は、民家の石垣などで飾りのように使われている。江戸時代はどのように置かれていたか伝えたかった」と話す。

 展示を始めて4カ月余り。偶然訪れた高校生が夏休みの課題に取り上げるなど、若い世代にも車石の認知を広げている。「実際の車石はこんなに大きかった、ということを多くの人に知ってもらいたい」。

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