山田太一さんが病床で構想した『ふぞろい』VI…還暦版「老いらくの林檎たち」に

《台本を通して、私に芝居というものを教えてくださっただけでなく、その台本から、人としてのあり方までも教わった様に思います。言い尽くせぬお世話になりました。でも、もう一度、山田さんの台本で芝居がしたかった。心からご冥福を祈ります》

12月1日、’83年に放送され社会現象となった『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)主演・中井貴一(62)はSNSで、老衰のため川崎市内で11月29日に亡くなった脚本家・山田太一さん(享年89)を悼んだ。『岸辺のアルバム』(TBS系)など数多くの人気作品を精力的に手掛けた山田さん。6年前に脳出血で倒れ、執筆活動は中断していた。

一方で、今年10月、映像化されなかった脚本集『ふぞろいの林檎たちV 男たちの旅路〈オートバイ〉山田太一未発表シナリオ集』(国書刊行会)が出版されたことでも話題になっていた。療養中の山田さんを6年前から定期的に訪れて取材していた文筆家の頭木弘樹さんが書庫で見つけたものだという。

’97年に放送された『ふぞろいの林檎たちIV』の続編となるシリーズVは、前編が《四十代ってなんですか?》、後編は《手元に光がありますか?》というタイトルで、初回で大学生だった登場人物たちが40代になった姿が台本に描かれていた。頭木さんはこう語る。

「先生は謙虚で、僕だけではなく誰に対しても優しく親切で、取材の後は一緒にお昼を食べに出たりしていました。とんかつがお好きでしたね。本当に元気でいらしたのに……。残念でなりません。『ふぞろいの林檎たちV』は以前、コピーをいただき、存在は知っていましたが、先生の書庫で現物を見て“本物だ! 幻のシナリオだ”と思いました。’19年の8月9日に見つけたとメモしています」

Vでは主人公・良雄の母が幽霊となって登場。良雄はお見合いパーティに参加し、陽子(手塚理美)と再会するストーリーだ。

《ドラマの冒頭、電車の中で、母親の姿を見た良雄の内心の声。 「お母ちゃん。お母ちゃんは時々、こんなふうに俺を見ている。それも俺が、あんまり、お母ちゃんに見られたくないことをする時にね」》(未公開シナリオ集より)

■山田先生は「もっとあってもよかったかも……」と

頭木さんが解説してくれた。

「良雄はIVで結婚しますが、1年7カ月で離婚して、さらにそれから5年たっています。 電車の中、自分が見られたくないことをするときに、幽霊となった良雄の母が現れるんです。《人は死んでも影響を与え続ける》という先生の考えがあるんです。《亡くなった人の言葉で思い出すこともある》と。後編の頭にもナレーションがあります」

《「このあたりで何かしないと、人生ここ止まりじゃないのか。このままでいいのか」「あぶなくても、もう少し別の人生を求めなくてもいいのか」》(同書より)

40代の林檎たちが葛藤を抱えながら生きる姿が描かれている。

「僕が先生に取材したときは、シリーズVの執筆から随分時がたっていたようです。TBSから制作発表もされましたが、制作されず結果的にIVで最後になりました」

’19年、『ふぞろいV』脚本の現物が発見されたときの山田さんの様子を頭木さんは振り返る。

「先生はシナリオを読み返されて、『これで最後かなと思っていたけれど、もっとあってもよかったかもしれませんね』とおっしゃっていました。

先生ご自身も、Vを描かれた当時は『40歳は節目で、人生に大きな区切りはない』と思っていたそうですが、80代になられて『その後も人生はいろいろある』と思い直されたようなのです。先生は登場人物が高齢になっていくことをよくテーマにされていました。『ふぞろいの林檎たち』が60代、70代になっていたら……。もし、シリーズVが制作されていたら、“還暦のふぞろい”もあったかもしれないと思います」

12月1日、『ふぞろいの林檎たち』に出演した柳沢慎吾(61)も山田さんの訃報に、《もう一度、山田先生とご一緒したいと、今でもキャストとスタッフで願っておりました》とコメント。山田さんが思い描いた“老いらくの林檎たち”を長年のファンも見たかったはずだ。

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