「暗闇の世界に一筋の光」性暴力に遭った女性が感激 歴史的な「刑法の性犯罪規定」改正(後編)「同意しない意思」の価値

改正刑法などが可決、成立した参院本会議=6月16日

 改正された刑法の性犯罪規定が7月、ついに施行された。改善すべき点はまだあるが、それでも歴史的な一歩と言える。理由は、多くの被害者が泣き寝入りさせられてきた要件が取り除かれたためだ。
 これまでは、被害を訴えても「必死に抵抗した立証できないから立件できない」と言われがちだった。しかし、実際は恐怖で体が凍り付いたり、突然のことで混乱するなど抵抗できなかったりするケースが多い。今回の改正では、そうした被害実態を踏まえた形になった。
 改正の原動力になったのは、被害者たちの声。長年、沈黙してきた人々が、街角や法改正を議論する場で、勇気を出して訴えたためだった。
 性暴力の被害当事者団体「Spring」で活動を重ねてきた金子深雪さんもその1人だ。「被害者が同意していなかったことに重きが置かれた。『嫌よ嫌よも好きのうち』といった加害者に都合のいい解釈にノーを示せる」(共同通信社会部記者)

 ※この記事は性暴力についての記述があります。サバイバーの読者はフラッシュバックなどに気を付け、無理をされないでください。

改正刑法が成立した参院本会議を傍聴する金子深雪さん=6月

 ▽封じた記憶、それでも差した光
 金子さんは近年まで、複数回に及ぶ性被害を受けてきた。
 初めてわいせつ被害に遭ったのは7歳の頃。休日に遊びに行った小学校の裏庭で、見知らぬ若い男が背後から近づき、体を触りだした。ズボンを下ろされ、男の手首に噛み付き必死に抵抗した―。そうした被害時の記憶は鮮明だ。
 ただ、その後の記憶は欠落している。周囲の無神経な言動にショックを受けたからだ。被害直後に警察へ行った時、性被害に遭ったことを知った近所の人が、泣いている金子さんに指を差し、笑ったという。その瞬間。「なんで笑うんだ」と強い憤りを感じ、意識が飛んだ。性被害で起きることのある「解離」と呼ばれる症状だった。
 数年後には、PTAで金子さんの被害が「逃げられなかった事例」として、保護者間で、名前を出して共有された。完全なる二次被害。「とてもショックを受けた」
 その後、悪夢を見るようになったり、抑鬱状態が思春期の間ずっと続いたりした。
 「被害そのもののショックももちろん大きいが、時には二次被害の方がずっと破壊力がある」
 さらに18歳の頃には、医療現場で手術を受けた際、医師や研修生らから、必要もないのに全裸にされた。麻酔が効く直前に何かを突き立てられ、激痛で悲鳴を上げた後の記憶はない。ただ、体に残った異常な腫れと感覚は鮮明に覚えている。
 「ショックと混乱で抗議できなかった」。その後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)による「希死念慮」に襲われ、自殺を図るほどの絶望の中、その時の記憶を封じた。「性暴力だった」と認識できたのは、被害から25年以上後になってから。
 「気がついた時には時効なんて過ぎていて、あれが被害だとすら認められない。絶望的だった」

性犯罪規定を見直す刑法などの改正案に関し、取材に応じる「Spring」の金子深雪さん(中央)ら=5月

 今回の法改正についても、議論の段階では被害の実態に合ったものになるかどうか、心配しながら身守った。中でも、特に「強固な壁」だと感じていたのは罪名。強制性交罪を「不同意性交罪」に改正させるのは難しいと感じていた。
 それだけに、法制審がまとめる要綱の試案の段階で「同意しない意思」という文言が提案された時は感激したという。
 涙ながらにこう振り返る。
 「すごいものが出てきたと、一筋の希望の光が差した。これまで言い続けてきたことを聞いてくれる人がいる、救われるような思いがした」
 金子さんだけでなく、被害者の多くはこれまで、「拒否しなかったのではないか」といった、いわれなき偏見に苦しめられてきた。だからこそ、改正の意義をこう感じている。
 「今まで被害者の声を封じ、加害者の存在を『見えないもの』にしてきた価値観を打ち砕くことになる。被害者に責任転嫁してきた社会を変えるものだと思う」

 ▽ここからは「運用」が重要に
 刑法の性犯罪規定は6月に改正法が成立し、一部を除いて7月に施行された。
 施行後に重要となるのが、実際の捜査や裁判の場での「運用」だ。どのように運用されるか、被害実態に即した適用がされるかどうかだ。
 立命館大の嘉門優教授(刑法)が注目するのは、バランス。
 「運用には、被害実態に即して処罰すべきものがもれてしまわないことと、不当に処罰が広がらないことの両立が求められる」
 その上でこう指摘した。
 「今までにない形の条文なので、解釈に混乱があってはいけない。適用に『ぶれ』がなく順当な処罰と言えるかどうか、今後、判例で形成されていく判断基準を注視し、検証していくことが重要だ」

上智大の斎藤梓准教授

 ▽時効が5年延長、それでも被害者にとっては短い
 一方、今回の改正法では見送られた論点も多くある。
 まず、性的行為に同意できるとみなす「性交同意年齢」。今回の改正で13歳から16歳に引き上げられた。この点については、同年代同士の行為が罪とならないよう、注意が必要だ。そこで改正法では13~15歳について、相手が「5歳以上年上」の場合に処罰対象とした。しかし十代前半にとって「5歳差」は大きい。「対等とは言えないケースがある」という批判は強い。
 次に、公訴時効のさらなる延長を求める声も根強い。今回の改正では、時効が5年延長された。その結果、不同意性交罪の時効は15年となった。さらに、被害者が18歳になるまでは実質的に「時効が進まない」規定も設けられた。
 ただ、金子さんが受けたようなケースでは、やはり時効の壁を乗り越えられない。
 「Spring」は「被害をそもそも打ち明けられない人は多い」と指摘している。「Spring」が調査したところ、挿入行為を伴うケースでは、約15%が被害認識に16年以上を要していた。
 被害者支援に携わる上智大の斎藤梓准教授(臨床心理学)は、時効のさらなる延長が必要だと指摘している。
 「幼少期の性虐待は被害認識に時間がかかる。大人でも、自責の念などから申告が遅くなることが多い。やっと話せるようになった時に警察に届けられないのは理不尽だ」
 時効の在り方を考える上で斎藤准教授が必要と考えるのは、改正法施行後の実態調査だ。

取材後記を書いた共同通信記者

 【取材後記】私もサバイバーだ。
 性犯罪規定改正の取材を進めてきた私も、実は「サバイバー」の一人だ。
 性暴力に遭うと、そのショックから記憶をしまい込み、何年、何十年とたってフラッシュバックを経験する人が多い。日常の出来事、目にした風景、そうした「何か」がトリガー(引き金)となり、突如痛みに襲われる。
 法制審議会で刑法見直し試案が示された2022年10月。試案の内容を取材している途中に、約10年前に受けた被害が初めてフラッシュバックした。
 取材先に受けた性暴力。自分がされたことがすぐには理解できず、体中が「気持ち悪い」という感覚に襲われ、帰宅後すぐにシャワーを浴びた。体の傷にお湯がしみた時、受けた行為のひどさを感じ、パニックになった。「拒まなかったんだろう」「そんな取材手法をしているのか」。決してそんなことはない。けれど、そう責められるのではと思い、頭から消し去った記憶だった。
 今回の改正は、性犯罪の「暴行・脅迫」といった従来の処罰要件を「同意しない意思」の表明などが困難になった場合に改め、具体例として条文に8項目を示す。「拒絶するいとまがない」「アルコール」「社会的地位による影響力」…。取材中、それらの記載を目にした瞬間、一つ一つが無意識に記憶と重なった。場所、光景、体の痛み。被害時の断片的な場面が、ガラスの破片のように降り注いだ。目の前が真っ暗になるような感覚に襲われ、その日どうやってその取材を終えたのか、どうやって帰宅したのか、はっきり覚えていない。唯一思い出せるのは、取材を終えた瞬間、泣いていたことだ。
 もう、この取材をやめたい。そんな時寄り添ってくれたのが、「Spring」で当時代表理事だった佐藤由紀子さんだ。幼少期、親族から日常的に性虐待を受け、28歳でフラッシュバックを経験していた。
 「つらい時は軽くジャンプするといいですよ。地面を踏みしめると、今自分がしっかり生きていると感じられるから」。佐藤さんはたくさんアドバイスをくれ、いつもこう言葉を添えてくれた。
 「あなたは悪くない」
 佐藤さんが忌まわしい記憶と対峙しながらも活動してきたのは、性暴力を許さない社会を実現したいという願いからだ。当事者が上げた声は「フラワーデモ」として新たに被害を打ち明ける連鎖を生んだ。痛みを語るのはどれほどつらかっただろう。記者はフラッシュバックを経験し、その勇気を思い知った。
 「同意のない性行為は犯罪だ」とのメッセージを打ち出し、大きな意義のある改正。しかし、今回の改正はゴールではない。自責の念や羞恥心から、被害申告には時間が必要だ。当事者団体は今回の時効延長に加え、さらなる延長を求める。また、スウェーデンのように、積極的な同意を得ていなければ処罰される規定(「イエス・ミーンズ・イエス」型)を目指すべきだとの声もある。
 性暴力根絶には、被害を訴えやすくし、手厚く支援する行政の取り組みが求められる。さらに大前提として、行為時に相手の同意が必須だという認識を社会全体で共有し、性的同意に関する認識を「底上げ」することが重要だ。そのためには、性教育の抜本的な見直しも欠かせない。
 「被害に遭ってから過ごしてきた真っ暗闇の世界に、一筋の光が差した気がして涙が出た」。ある被害当事者は、被害者側の訴えが「不同意」という表現で条文に反映された時の思いをこう表現した。
 当事者の声で実現した今回の改正。被害者の声が持つ「力」を知ったからこそ、今回、記者も自身の経験を書くことを決めた。
 しかし、誰かが痛切な経験を明かさないと社会は変われないのか。声を上げたくない、打ち明けられない人が身近にいるかもしれない。誰かが静かに流す涙に一人一人が思いをはせてほしい。
 そして、今も暗闇でもがく人にはこう伝えたい。
 「あなたは一人じゃない」

【前編はこちら】「相手も性交に同意していたと思う」は、もう通じない。歴史的な「刑法の性犯罪規定」改正(前編) きっかけは被害者の声、どうやって国に届けたのか

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