〝いぶし銀〟木戸修さん死去、73歳 中邑真輔「プロレスで最初の先生」、小島聡「真面目で冷静で優しい」

プロレスラーの木戸修さんが12月11日に死去したことが14日、新日本プロレスから発表された。73歳だった。通夜、葬儀等は遺族の意向により、近親者のみで執り行う。

木戸さんは、1969年2月に日本プロレスでデビュー。72年3月には新日本プロレスに旗揚げメンバーとして参加。海外遠征時には〝プロレスの神様〟カール・ゴッチに師事した。84年9月からは、第1次UWFに参加し、ゴッチ譲りのグラウンド、関節技で実力を発揮。85年12月には新日本マットに復帰し、86年6・5両国国技館大会では前田日明とのタッグでIWGPタッグ王座を獲得した。

派手ではないが的確なグラウンドレスリングで新日本のリングを引き締め、乱れない髪形でも存在感を示し「いぶし銀」と称された。

後年は新日本道場で若手のコーチを務めた。元新日本で現WWEの中邑真輔は、自身のSNSに木戸さんとのツーショット写真を投稿。英語で「プロレスで最初の先生でした」と悼んだ。

後藤洋央紀は自身のX(旧ツイッター)で「練習生時代大変お世話になった恩師…木戸さんのご冥福をお祈り致します」と、小島聡は「「あの時代の人」なんだけど、あの時代の人によくあった人間離れした感じはなくて、とにかく真面目で冷静で優しい印象が強かった木戸修さん。私が新日本を一度退団した後、若手選手のコーチをされていたと聞いています。90年代後半には良く試合して頂きました。ご冥福をお祈り致します」と、武藤敬司は「2020年2月、最後のプロレスリングマスターズに参加して頂いたことが想い出になってしまいました。 心よりご冥福をお祈りいたします」と記した。

プロゴルファーで2012年に国内ツアー「サマンサタバサレディース」で優勝するなど人気の木戸愛(33)は長女。木戸さんは娘の応援でたびたびコースに姿を見せていた。

(よろず~ニュース編集部)

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