MLBロサンゼルス・ドジャースと10年契約を結んだ大谷翔平。
新天地での背番号は、エンゼルス時代と同じ17番に決まった。ドジャースの17番だったジョー・ケリー投手はその番号を大谷に喜んで譲渡したそう。
ここでは、サッカー界で背番号譲渡を快諾されたケースと拒否されたケースを取り上げてみる。
ネイマール(快諾)
近年のブラジル代表で伝統の10番を背負ってきた天才。
2017年夏にバルセロナからPSGに電撃移籍した際、すでに10番はハビエル・パストーレ、11番はアンヘル・ディマリアがつけていた。すると、パストーレは10番をネイマールに譲渡。
「歓迎のしるしとして、ネイマールに自分の番号を提供したい。初日から快適に感じて欲しいんだ。一緒にチャンピオンズリーグを勝ち取るために、彼が必要としている全てのサポートを提供したい」。
その後、パストーレは背番号をパレルモ時代にもつけた27番に戻した。「母のお気に入りの番号なんだ。ウラカンでつけた16番が欲しかったけれど、空いてなかったので27番にした」というのが理由だそう。
クリスティアーノ・ロナウド(快諾)
いまや背番号7が代名詞になった生けるレジェンド。
2021年8月末に古巣マンチェスター・ユナイテッドに電撃復帰した際、背番号問題が持ち上がった。
すでにエディンソン・カバーニが7番で登録されており、プレミアリーグのルール的に変更は不可能だったのだ。
だが、リーグは特例で変更を許可し、カバーニはロナウドに7番を譲り、自分はウルグアイ代表でつけている21番へと変更。
「自分がまた7番をつけられるのか分からなかった。だから、エディがしてくれたこの素晴らしい振る舞いに心から感謝を述べたい」とロナウドはカバーニに感謝していた。
モハメド・サラー(快諾)
リヴァプールのエースに君臨するエジプト代表FW。
代表では10番を背負うが、クラブではローマ時代から11番を着用している。
リヴァプール加入時には11番をつけていたブラジル代表ロベルト・フィルミーノからその番号を譲ってもらった。
「加入した時、彼が11番なのは知っていたのでお願いしたんだ。彼は『もちろんさ。僕は9番にするので、君は11番をつけられるよ』と言ってくれた。それが最初だったので、一緒にプレーする前から意気投合を感じられたんだ」。
本田圭佑(拒否)
名門ACミランで10番を背負った日本が誇るレフティ。クラブでは2番、3番、33番など変わった番号もつけた。
日本代表では18番をつけた後に謎の4番で定着。当初は10番を狙っていたが、その後は別の番号を模索し、3か4に絞った。
ただ、当時3番をつけていた駒野友一にやんわり断られたため4番になったとのこと。駒野本人も代表での3番に愛着があり、手放したくなかったと認めている。
ガブリエル・バティストゥータ(拒否)
リオネル・メッシに抜かれるまでアルゼンチン代表最多得点記録を持っていたスーパーストライカー。
ローマに移籍した2000-01シーズンには中田英寿らとともにセリエA優勝を成し遂げた。
背番号9が代名詞だったが、ローマでは9番を背負っていたヴィンチェンツォ・モンテッラが譲渡を拒否。
そのため、バティはローマで18番、20番、33番という番号をつけた。本人は『ESPN』のインタビューでこう話している。
「(ローマでも)ずっと背負ってきた9番をつけたかった。でも、モンテッラがノーと言ったので、俺は18番をつけて彼の2倍のゴールを決めたのさ(笑)。9と18さ、分かるよね?
別に取るに足らないくだらないことさ。背番号争奪戦についてはこう思っている。『俺に番号をくれるのかい?最高だね!俺に渡したくない?完璧だね』。自分にとっては同じことだ。
彼は背番号9を保持することでパーソナリティを示す必要があると感じたのかもしれない。でも、俺は問題を起こすほどのことではないとずっと思っていたよ」。