井筒3兄弟、寺尾まで…194年ぶり兄弟幕内、誇らしかった「姶良郡加治木町出身、井筒部屋」 錣山親方の訃報悼む

父の井筒親方をかつぐ3兄弟。左から福薗(鶴嶺山)、寺尾、逆鉾=1984年5月

 元関脇寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)は闘志あふれる相撲で人気を博し、土俵では2人の兄とともに父親の元井筒親方(元関脇鶴ケ嶺)と同じ鹿児島県の旧加治木町出身を通した。突然の訃報から一夜明けた18日、県内の関係者やファンも、早すぎる死を悼んだ。

 親類が鶴ケ嶺の後援会に関わっていた姶良市西餅田の会社員岩重俊雄さん(49)は小学生だった38年前、同市加治木であった「井筒3兄弟」の激励会に参加した。「小さい体で大きな相手を倒す相撲が魅力だった」と話す。寺尾が新入幕を決め、「194年ぶり兄弟幕内」と騒がれたころで、一緒に撮った写真を今も保管する。

 俊雄さんの父俊一さん(75)=同市加治木町本町=も「『姶良郡加治木町出身、井筒部屋』とテレビで日本中に流れるのを誇らしげな思いで聞いた」と懐かしむ。錣山親方となった後も、九州場所に訪ねて鶴ケ嶺の写真を贈るなど郷土力士として長年応援した。「加治木と縁があった鶴ケ嶺と3兄弟がみんな亡くなり、一つの時代が終わったようで寂しい」と語った。

 鹿児島市でちゃんこ鍋店「天手古舞」を営む元幕内星岩涛の野口祐二さん(68)は、一緒に稽古をした経験がある。3兄弟の中で「相撲に取り組む姿勢が一番真面目で、若い衆の面倒見も良かった」とたたえる。突然の訃報に「60歳は早すぎる。多くの力士が目標とする人格者だった。相撲界にとって大きな財産をなくした」と残念がった。

〈関連〉38年前に鹿児島県姶良市加治木を訪れた元関脇寺尾と岩重俊雄さん=1985年2月、姶良市加治木

© 株式会社南日本新聞社