小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=76

「広島市に新型爆弾が投下されたと言う。ブラジルの新聞には二〇万以上の犠牲者と報道し、全市街地が焼け野原と化した写真が載っていた」
「その新聞、どこにあるんだ」
「あまり悲惨だから、見せない方がいい、と町の連中が言うので持ってこなかった」
「冷静な判断をするために、ぜひ見たかったな」
「君はブラジルの新聞は信ずるに価しないといつも言ってるじゃないか」
「そうは言ったけど……」
「そういう人たちが多いので、悲しませたくないんだ」
「……」
「俺が言わなくても真相はやがて判かるだろう」
 有村の心にはブラジル新聞の記事が動かせない事実として渦巻いていた。が、入植者にありのままを告げる勇気はなかった。
 次のニュースは日ソ協定を結んでいたソ連が突如、満蒙国境を突破し、破竹の勢いで南下しつつある。日本軍はそれを防御する力がない。日本の降伏は時間の問題である、と載った。その直後、長崎にも新型爆弾が投下されたと報じた。大本営発表の情報を信じられなくなった有村は、ここ三日間、会館には立ち寄らなかった。あまりにも悲惨な状況で、同胞に知らせるのがためらわれたのだ。
 最悪の日はきた。日本降伏の記事である。有村の眼の前が真暗になり、こまかく新聞に眼を通す気力を失っていた。この事実を入植者にどう知らせたらよいのか、彼はその方法を知らなかった。
 市街地から植民地まで二〇キロメートル離れている。その道程を、トラックで如何に走行してきたのか、覚えていなかった。会館の前まできて、荒々しくブレーキをかけた彼は、トラックを降りると会館に入らず、車輌の後部のタイヤを背にドカッと腰をおろしてしまった。両眼を真っ赤に泣き腫らしている。会館で彼の到着を待ちこがれていた男たちは驚いて有村を取り巻いた。
「……日本は、やっぱり駄目だった」
 辛うじてそれだけ言った。
 ここ何年来、ひそかにこの会館に集まっては、東亞戦争の状況、世界の戦争について論じ合った仲間であったが、今日の有村の表情には口をはさむ余地がない。彼の落胆ぶりから最悪の事態を察することができた。
「信じていたんだがなあ」
 誰かが呟く。その声に、頬を伝う涙をぬぐうこともなく、呆然自失の状態で、動く者もいない。

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