無名のチームを「ニューイヤー駅伝」出場に次々導いた〝凄腕〟監督の激レア人生 選手実績ゼロ、派遣社員、給与未払い、リストラ…

「富士山の銘水」を初のニューイヤーに導いた=11月30日、山梨県甲府市

 1月1日に開催されるニューイヤー駅伝は「実業団・駅伝日本一決定戦」とも呼ばれる国内最高峰のレース。2024年の出場チームも旭化成やHondaといった強豪がひしめく中で、創部わずか2年目の企業チームが初出場する。天然水の製造・販売で知られる「富士山の銘水」(山梨県富士吉田市)だ。
 監督は高嶋哲さん(45)。選手としての実績はゼロ。教師や派遣社員を経て指導者となった異色の経歴の持ち主だが、監督としての実績はすごい。過去には市役所チームや無名企業のチームをニューイヤー駅伝出場に導いた。今回で3チーム目だ。
 これまで、一体どんな人生を歩んできたのか。話を聞くと、行く先々で何度もトラブルに巻き込まれ、そのたびに周囲に支えられて再起。「私は運が良かった」と語る、その半生とは。(共同通信=岩井惇)

練習風景= 富士山の銘水フレシャス提供

 ▽憧れたのは選手ではなく「マネージャー」
 千葉県で育った高嶋さんが駅伝に目覚めたのは中学時代。「『早稲田大』対『山梨学院大』という構図が好きだった。山梨学院にはマヤカさんや飯島理彰さんもいて、憧れていました」。高校の体育で使うジャージには「ステファン・マヤカ」と書いたほど。
 陸上を高校で始めたが、「全然、遅かった」。そんな時、箱根駅伝のドキュメンタリー番組をTVで見て衝撃を受けた。
 「山梨学院のマネージャーが特集されていたんですよ。ここで陸上競技を勉強したいと思いました」。マネージャー志望で大学に入ったが、体育会のマネージャーは忙しい。選手のサポートや練習の手伝いといった一般的な業務だけでなく、高校生のスカウトに1人で派遣されることも。
 「監督から現金だけポンって渡されて『行ってこい』って」
 時刻表とにらめっこしながら全国を飛び回った。当時の監督は上田誠仁さん。叱られることもあったが、人間として大きく成長させてくれた。

選手たちの食事の様子=富士山の銘水フレシャス提供

 ▽教師になったものの…給与未払い、再就職先は不祥事
 卒業後、千葉県の私立高校で陸上部の顧問として教師生活をスタートさせた。夢をかなえたかに見えたが、学校は問題が山積みだった。
 「経営が破綻していて、給料がすごく安かったんです。未払いもありました。賞与も1回も出ません。同僚の先生が生徒に手を出して新聞に載ったり、警察沙汰にも何回かなったりして。ここでいくら頑張っても無理だなと」
 2年ほどで退職。一般企業で働いたが、「もっと陸上競技を勉強しよう」と、東京の大学院に入った。夜間部のため、授業は基本的に夜。昼間は派遣社員として働いた。
 大学院修了後は、派遣社員として働いていた配電盤の会社で正社員に。営業職だったが、評価されて設計部へ。「電気なんて全然わからないのに、ちょっと勉強していたら設計やることになっちゃって」
 その矢先、またトラブルが起きる。
 「会社で不祥事があったんです。億単位の着服があったらしく、それが明るみになって、仕事の多くがなくなりました」。高嶋さんは当時、東京で勤務していたが、本社がある山形へ行くことに。「それは話が違うと思って辞めました」

選手とのコミュニケーションを大事にする高嶋監督= 富士山の銘水フレシャス提供

 ▽恩師から驚きの提案「市役所職員が駅伝?」
 大学の恩師・上田さんに現状を報告したところ、驚きの提案をされた。
 「市役所の陸上競技部で指導しないか?」
 場所は山形県南陽市。市長が強化を目指し、指導できる人を探しているという。山形の勤務を断ったばかりだったため、複雑な気持ちになった。
 「正直、あまり行きたくなかったし、30歳も過ぎていたので『もういいかな』という気持ちもありました。でも、上田監督が何度も説得してくれて覚悟を決めました」

15位でゴールしニューイヤーに届かなかった南陽市役所=熊谷スポーツ文化公園陸上競技場

 2012年、南陽市役所チームのコーチになった。ただ、選手のほとんどが公務員で、8時半~17時15分は勤務しなければならない。ニューイヤー駅伝を目指したものの、予選15位と惨敗。予選突破ラインからも6分近く遅かった。
 「ただでさえ練習時間が少ない中で、飲み会を理由に練習を休む選手もいましたしね。いろいろ変えようとしたんですが、付け焼き刃ではさすがに無理でした」
 翌13年、監督に就任。まず取り組んだのが選手の意識改革だった。
 「市民や周囲からすごく期待されているのを感じていたんです。『なぜ自分がこの場所にいて、この仕事をして、走っているのか』を正しく理解させようと心がけました」
 その思いに選手たちも応えた。それまで週2日ほどだった朝練は、ほぼ毎日に。水曜午後には年休を取り、練習時間を確保した。冬は雪で走れないため、車で1時間ほど離れた場所で合宿。強化練習を詰め込み、終了後に疲れを取る仕組みでメリハリをつけた。
 大学時代の経験も生きた。「スカウトでよく東北に来ていたので、山形の先生たちが僕のことを知っていてくれた」。いたるところでサポートを受けたという。

練習中の選手を見守る高嶋監督=11月30日、山梨県甲府市

 ▽地元が大水害、練習自粛したのに予選突破
 迎えた2013年の予選。前年より6分近くタイムを縮め、ニューイヤー駅伝出場を決めた。本番は37チーム中36位だったものの、完走。「限られた予算や環境でもやれると証明できて、うれしかった」
 14年も連続出場を狙ったが、自然災害に襲われた。7月、大雨で地元の吉野川が氾濫。市役所の職員が被災者を横目に練習なんてできない。夏場のトレーニングを自粛したが、チームの結束は逆に高まった。予選をなんとか突破し、本番で34位と順位を上げた。
 「まとまりもあり、走力も底上げできていた。ずっと大会に出られるチームになる兆しはあった」。しかし、今度は陸上部の規模縮小が決まってしまう。
 「この年の7月に市長選があって、争点の一つに陸上部がありました。大金を使っているとか、市の交付金を使っているとか、根も葉もない噂を立てられて怪文書も届いたんですよ」
 現職は落選。「南陽市役所でやるから価値があると思っていた。本当はそのままやりたかった」

初のニューイヤー出場を決めたNDソフト=熊谷スポーツ文化公園陸上競技場

 ▽成績不振で監督クビ、恩師も絶句
 この時は市長の紹介で新天地が見つかった。同じ南陽市の企業「NDソフト」が陸上部を創設したのだ。監督になり、就任2年目の2016年には予選を突破。NDソフトはニューイヤー駅伝に初出場し、37チーム中33位で完走した。
 ただ、翌年から予選敗退が続き、「チームの中にも軋轢が生まれていった」。2019年、成績不振を理由に解任。この時が人生で一番のピンチだったという。
 解任を言い渡された日は恩師・上田さんの還暦パーティの前日。すぐ電話で報告すると、上田さんはしばらく絶句した後、こう言った。
 「明日、山梨学院のグラウンドに来い」
 翌日、上田さんから山梨学院大学のコーチを打診された。新監督に就任する飯島理彰さんが「コーチで呼びたい」と言ってくれたのだという。高嶋さんは感謝した。「陸上界で生きる道をつないでいただいた」
 そして2021年、またも上田さんから吉報がもたらされる。誘われたのは新設される「富士山の銘水」の監督。恩師は、こんな熱い言葉で励ましてくれた。
 「山梨の企業だし、山梨学院出身の人間にやってほしい。それに、お前はゼロからチームを作り上げて、2チームもニューイヤーに行かせた実績がある。3チーム目なんて聞いたことがない。推薦するならお前だ」

練習拠点にしている山梨県甲府市の陸上競技場=11月30日、山梨県甲府市

 ▽寮も合宿所も食堂も車もないが「最高の部員がそろった」
 2022年春、富士山の銘水陸上部の監督になった高嶋さんを待っていた部員は3人だけだった。寮も合宿所も食堂も車も、何もない。食事は選手が自分で用意していた。
 「それでも、文句を言う選手はひとりもいなかったんです。立ち上げのメンバーとしては最高の部員たちがそろってくれました」

東日本実業団駅伝で1区を走った才記選手は区間7位の力走=富士山の銘水フレシャス提供

 翌2023年春、7人の新入生が加入。他チームからの移籍組や留学生も合わせ、メンバーは14人に。富士山に見守られながら走り込み、着実に力をつけた。11月3日、ニューイヤー駅伝の予選、「東日本実業団駅伝」へのチャレンジを決めた。
 「初出場で予選を突破したいなと思っていました。ただメンバー14人中、箱根駅伝の経験者は4人だけ。大舞台での経験値が少なく、期待と不安は五分五分って感じでした」
 23年の東日本大会は7区間76.9キロで争われ、上位12チームにニューイヤー駅伝に出場できる。富士山の銘水チームは11位に入った。
 「純粋に嬉しかったですね。創部した時のメンバーが一人も欠けることなくニューイヤーに行くことが目標でした。達成できたのが喜ばしいです」

東日本実業団駅伝で初のニューイヤー駅伝出場権を獲得する=富士山の銘水フレシャス提供

 別々の3チームによるニューイヤー駅伝出場を成し遂げ、ここまで多くの人に支えられてきた半生を振り返った。「運が良かったに尽きるが、人生の師である上田監督との出会いは大きい。監督を通じてさまざまな人々と知り合い、ゼロからチームを作り上げるヒントやマインドを吸収していった」
 選手からの信頼も厚い。篠原楓選手はこう語る。「練習面も生活面も、選手一人一人を間近で見てくれているイメージです」。主将の小林竜也選手も「個人の目標に合わせて柔軟に対応してくれる。チームとしての駅伝だけでなく、個人のトラック競技もサポートしてくれるので、非常にやりやすい」。

初のニューイヤー駅伝を決めて歓喜に沸く「富士山の銘水」メンバーたち=富士山の銘水フレシャス提供

 高嶋さんの目は、元旦の本番に向いている。「30位以内を狙いたい気持ちはありますが、選手がゴールした時に満足してもらえればそれでいい」

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