水島臨海鉄道でJR久留里線から移籍した「キハ」に再会

 【汐留鉄道倶楽部】岡山県倉敷市の第三セクター、水島臨海鉄道では、国鉄時代に製造された気動車「キハ30」「キハ37」「キハ38」が健在だ。JR東日本の久留里線(千葉県)から移籍し、2014年に運転開始。久留里線で最後に撮影したのが2010年なので、出張の帰りに訪れた倉敷で13年ぶりに「再会」した。

 水島臨海鉄道の主力車両は、1990年代半ばから運用されている気動車「MRT300形」。昭和生まれの「キハ」が走るのは朝の2往復と夕方の3往復だけだが、同鉄道のホームページに掲載されている時刻表には、キハが充当される列車が明示されている。いつ来るかドキドキしながらホームや線路端で待つのも楽しいが、時間を有効に使いたい乗り鉄、撮り鉄にはありがたい。

倉敷貨物ターミナルの車両基地へ回送されるキハ37

 10月下旬の某日、出張先の福岡からその日のうちに新幹線で倉敷へ移動。駅前のホテルで1泊し、早起きして水島臨海鉄道の倉敷市駅へ。午前6時58分発の「キハ」で終着駅の三菱自工前まで30分ほどの乗り鉄を楽しんだ。

 倉敷市駅のホームに入ってきたのは、キハ37の「101」と「102」の2両編成。薄いブルーの車体の窓下に濃いブルーの帯を巻いた「水島色」と呼ばれる塗装が施されている。久留里線時代のカラフルな装いとは随分印象が違った。

車両基地に停車中のキハ30「100」(手前)とキハ37「103」

 国鉄時代の気動車の標準的な外見のため、かつて当コラムでも取り上げた「キハ40」よりも古い車両と思い込んでいたが、今回調べてみると、1977~82年に888両造られたキハ40より後の1983年製と知って驚いた。しかも世に出たのは量産先行車の5両だけ。そのうち、この日は運用を外れた1両を含む3両が40年の歳月を経て生き残っているのは、奇跡と言っていいかもしれない。

 オールロングシートの車内は、半分くらいしか埋まっていなかった。三菱自工前駅付近の工場地帯に向かう人たちで混み合うと思っていたが、出勤には少し時間が早かったか。新形式のエンジンを採用した車両とあって走りはスムーズ。ただ、古いディーゼル車特有の〝うなり〟は少なめでちょっと物足りなかった。

久留里線の横田駅で2010年7月に撮影した2両のキハ37。水島移籍に当たって改番されており、右側の「2」は水島で赤く変身した「103」、左側の「1002」(拡大して確認)は今回乗車、撮影した「102」

 2両の気動車は時速30キロ程度のスピードでゆっくり走る。「乗車券をお持ちでないお客様はいらっしゃいますか」と車掌が車内を巡回するのは懐かしい光景だった。弥生、栄、常盤と名古屋を連想する駅名が続くのは、1943年7月に旧三菱重工業水島航空機製作所の専用鉄道として開業した際、名古屋から転勤してきた人が多かったからとのこと。単線ながら大部分が高架化されているため、これといった撮影ポイントも見つからないまま三菱自工前駅に到着した。(ちなみにこの日利用したのは800円の「専用鉄道開業80周年記念フリーきっぷ」)

 三菱自工前駅は旅客列車の終点だが、この鉄道のもう一つの柱である貨物事業を担う「倉敷貨物ターミナル駅」まで線路が延びている。(ちなみにJR貨物と連携している「臨海鉄道」で、貨物だけでなく旅客輸送も行っているのは水島臨海鉄道と茨城県の鹿島臨海鉄道のみ)。貨物ターミナルに併設されている車両基地まで歩いて行くと、フェンス越しにMRT300が2両、ディーゼル機関車1両のほか、4両の「キハ」が目に飛び込んできた。

 キハ37新製時の「赤11号」に塗り直された「103」、キハ30の「98」と「100」、そしてクラウドファンディングを活用してイベントで走行できるまでによみがえった元国鉄の「キハ205」。(キハ38の「104」は車庫の中にいたのか姿が見えなかった)。中でもキハ30の2両は、ドアが車両の外側につり下げられた独特のスタイル。久留里線時代の最後の数年は「国鉄一般色」と呼ばれる赤とクリームの塗り分けが復元されたため、何度か撮りに出かけた。水島でも色がそのままなのはうれしかった。

倉敷市駅。JRの倉敷駅からは少し離れた場所にあった

 朝の2往復目を終え、車両基地に戻るキハ37を三菱自工前~倉敷貨物ターミナル間の線路端で撮影した。何の変哲もない構図ながら、抜けるような青空にブルーの車体がマッチして、シャッターを押しながらささやかな達成感を味わった。

 ☆共同通信・藤戸浩一 夕方のキハ3往復も撮影しようと考え、三菱自工前の一つ手前の水島駅ホームでパチリ。駅を出て近くの港でぼんやり海を見ていたら、水島から分岐して東水島に向かう貨物線をディーゼル機関車けん引のコンテナ列車が通過した。貨物の時刻を把握しておらず、もう少し水島駅のホームにいたら撮影できたのに、と悔やんでも後の祭りだった。

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