パラアスリートの小田凱人、木村敬一、鳥海連志が集結! トークセッションを開催

WOWOWで2024年1⽉から、WOWOWオリジナルドキュメンタリー 「WHO I AMシリーズ」の2シーズン目の放送・配信がスタート。それに先駆けて、「いよいよPARIS2024到来!第10回『WHO I AM』フォーラム」が開催された。

第1部は、1⽉20⽇放送・配信の「ドキュメンタリー シリーズ WHO I AM パラリンピック 小田凱人」(午前11:00)の特別先行試写会が行われ、第2部では、過去に放送した「WHO I AM パラリンピック」でフィーチャーした、車いすバスケットボールの東京パラリンピック銀メダリスト・鳥海連志選手と、水泳の東京パラリンピック金メダリスト・木村敬一選手を招いたトークセッションを開催。さらに、「2023年 第53回内閣総理大臣杯 日本プロスポーツ大賞」の授賞式出席直後に駆けつけたという、プロ車いすテニスの小田凱人選手がサプライズで登場。MCの松岡修造、平井理央と共に熱いトークセッションを繰り広げた。

第2部のMCを務めた松岡は、第1部の試写会が始まる前に自ら登場し、抽選で当たったラッキーな観客に向けて、当日のイベントや「WHO I AM」について説明。前説的な役割を担うなど、熱いマインドでステージに立った。その後、試写が始まる前に、日本パラ陸上競技連盟会長・増田明美氏が、パラスポーツの魅力を分かりやすく、笑いを交えながら明るく楽しくアピールした。

試写会終了後のトークセッションでは、鳥海選手が登場すると、会場から黄色い声が飛び交った。一方、木村選手が登場すると彼の性格を熟知しているファンから笑いが巻き起こり、松岡が「敬一さん、今日は気合入れてきますよ!」とガッツポーズを見せた。「WHO I AM」シリーズの始まった16年からパラスポーツの取材を始めたという平井も登壇し、4人でのトークがスタート。

まず、新型コロナウイルス感染症のまん延が影響を与えた部分に触れ、「コロナ禍を通してより自分が鮮明に見えた部分もあったんじゃないかなと僕は思っているんです」と話を進める松岡。すると、鳥海選手は、リオデジャネイロ五輪の時に、寝坊や遅刻を繰り返していたことを、自分を戒めるように告白し、「(コロナ禍に)こんなことじゃ駄目だと、チームから認めてもらうためには、やっぱりコート上だけでは駄目なんだなということを感じながら、そういうところを一から徹底して直していこうというのが、自分を見つめる第一歩でした」と、人に会えなかった分、自分を見つめて気持ちを新たに反省したことを明かした。

一方、木村選手は「僕はあんまり遅刻とか寝坊とかしなかったです」と言って笑いを誘い、続けて「あの頃は、“不要不急”という言葉がよく言われていたと思います。その中で、スポーツはどちらかというと楽しいものだから、不要不急なものになるんですよね。そうなると僕たちスポーツ選手は、世の中に対して不要不急な存在なのかなというふうに思ってしまって、自分をすごく否定してしまうので、きついなと思っていました」と振り返る。そんな中、オリンピックとパラリンピックの開催に対しての風当たりが強かったことも印象深いと語った。

そんなつらい時期を乗り越えて、東京でメダルを獲得した両選手に、松岡はメンタルを強く保つ秘訣(ひけつ)や、それぞれの個性を伸ばしスポーツ以外でも活躍の場を広げている行動力について突っ込んで聞いていく。

そして、松岡からパラアスリートへの取材を通して感じたことを聞かれた平井は「どんな状態に置かれても、自分次第でその状況を変えていけるということを、パラアスリートの方から学びました。自分はアスリートではないんですけど、実生活でそのスピリットが生かされているなと思うことがあって、去年離婚したんですけど…」となぜか自虐ネタを交え、百戦錬磨(れんま)の松岡でもどうフォローしていいのか分からなくなり、後ずさりする場面も。

平井は話を続け、「ごめんなさい。でもそういう時とかも、自分の状況はいつでも自分次第で変えていけると。勝手に私がもらったスピリットを自分の生活で生かしているところがあって、パラアスリートからそういう気付きとか、勇気だったりとか、自分もやれるみたいな気持ちや刺激をもらっている人は多いんじゃないかなと思います」とまとめた。

さまざまな話が盛り上がる中、松岡が何かに気付く。ステージ袖にフォーマルな格好の小田選手がスタンバイしている姿が見え、松岡が小田選手のところに駆け寄り歓迎。小田選手本人よりも一足先に「WHO I AM」を試写した観客も、予期せぬスターの登場に驚きの声が広がった。

今年1年を振り返り「グランドスラムの優勝はずっと夢だったので、それがかなった年でした。後半は苦しい瞬間もいくつかあったんですけど、前半は本当にすごいいい期間だったので、そっちの方が今は強く残ってます」と笑顔で語った小田選手。すると松岡が「僕は一応テニスしていましたから、テニスに関しては詳しいわけですよ。常識を破っていって、車いすでネットにつくこととかって、正直、リスクの塊だなと。それをたくさんやろうとしたことで全米で苦しんだなって僕は思ったんです。だから(スタイルを)変えると思ったのですが、変えずにジャパンオープンテニスで優勝しましたね」と苦労をねぎらった。

小学生の頃のサッカーの話から、発病後、障がいを背負って現在に至るまでの小田選手の話を聞いていった松岡は、小田選手があまりにもしっかりした受け答えをするため、17歳という年齢に疑問を感じ、「今おいくつでしたっけ?」と真顔で年齢を確認する一幕も。

トークセッションも終盤に入り、24年開催のパリ五輪への目標を聞かれた小田選手は、少し考えてから「逆にどんなところが見たいですか?」と観客に問いかける。続けて「たぶん皆さんが思ってくれることがすべてだと思うし、僕がやるべきことは、たぶん『こうしてほしい』と思ってくれたことを体現していくこと。それが僕の夢や目標になってくるので、目指すところは僕の中でも一つです」と力強く述べた。

これを聞いた松岡が、客席にマイクを向けると「優勝!」という声が届き、小田選手は「そう思ってくれるのはめっちゃうれしいし、僕ももちろんそれを狙っています。それをもっと多くの人が望んでくれたら、たぶん僕の『勝ちたい』という気持ちもその分増していくと思うので、応援よろしくお願いします!」と満面の笑みを浮かべた。

このトークセッションは「時間厳守」と強く言われていたという松岡は、予定時間できっちりと収めて、あっという間にイベントは終了した。

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