ライアン・マイナーが49歳で死去 リプケンJr.の代役として知られる

カル・リプケンJr.の連続試合出場記録が止まった日に、リプケンJr.の代役として三塁を守ったことで知られるライアン・マイナーがステージ4の結腸がんとの闘病の末、49歳で死去した。双子の弟であるデイモン・マイナー(日本球界でプレー経験あり)がSNS上で公表した。マイナーは1998~2000年にオリオールズ、2001年にエクスポズ(現ナショナルズ)でプレー。大型三塁手として期待された選手だったが、メジャー4シーズンで通算142試合に出場し、5本塁打にとどまった。

マイナーのキャリアのハイライトは、1998年9月20日(現地時間)のヤンキース戦だ。この日、リプケンJr.は自らの意思で2632試合連続出場の大記録をストップさせた。そして、リプケンJr.の代わりに三塁手としてスタメン出場したのがマイナーだった。

当時、マイナーは「とてつもなく緊張した。緊張してなかったなんて言えないよ」と話していた。「僕はリプケンJr.のほうを向いて『チャンスをくれてありがとう』と伝えたんだ。彼は僕を見て『チャンスを掴めよ』と言ってくれた」と語ったマイナーだが、結果的にはそのチャンスを生かせず。リプケンJr.は2001年までオリオールズで現役を続けたが、マイナーは2000年オフにホルヘ・フリオとのトレードでエクスポズへ放出された。

マイナーは2002年以降もマリナーズ、ドジャース、マーリンズのマイナーや独立リーグでプレーを続け、2005年シーズンを最後に引退。2006年からは独立リーグでコーチを務め、指導者としてのキャリアをスタートした。2008年にはオリオールズの球団組織に復帰し、マイナーの打撃コーチに就任。その後は2019年までマイナーの各階級で監督を務めた。2020~21年にはタイガースのマイナーでも監督を務めている(2020年は新型コロナウイルスのパンデミックでマイナーはシーズン中止)。

キャリアのハイライトとして「リプケンJr.の代役」という点ばかりに注目が集まるマイナーだが、「忘れ去られるよりは話したほうがいい。僕は野球の話をするのが好きなんだ」と決して不本意なスポットライトから逃げようとはしなかった。だからこそ、目立った実績を残したメジャーリーガーではなかったにもかかわらず、長年にわたって指導者として活躍できたのかもしれない。

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