世間を揺るがす事件の加害者に「賛同意見」も… “安楽死”が持つ言葉の危うさ

植松聖が事件を起こした「津久井やまゆり園」(コン太くん/PIXTA)

「安楽死」とは『三省堂国語辞典(第七版)』によれば、〈はげしいいたみに苦しみ、しかも助かる見こみのない病人を、本人の希望を入れて楽に死なせること〉とある。しかし近年では、「障害者を安楽死させるべきだ」と声高に叫ぶ殺人犯が現れ、著名脚本家が「社会の役に立てなくなったら安楽死で死にたい」と主張するなど、本来の言葉の意味と異なる使い方がなされているケースも多い。

その背景には、海外で安楽死が次々と合法化された国際的な流れや、日本国内の社会情勢の変化なども少なからず影響しているのかもしれない。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事の児玉真美さんは、日本では安楽死の合法化について話す以前に、「まだまだ知るべきことが沢山あると気づいて」ほしいと話す。

この記事では、安楽死をめぐる国内外の動きや、揺れる言葉の定義について紹介する。1回目は近年国内で起きた安楽死をめぐる事件を振り返る。

(1回目/全5回)

※ この記事は児玉真美さんの書籍『安楽死が合法の国で起こっていること』(筑摩書房)より一部抜粋・構成しています。

植松聖が主張した「安楽死」と橋田壽賀子の“願い”

2016年7月に知的障害者施設で元職員の植松聖が19人を刺殺し、多くの人を傷つけた相模原障害者施設殺傷事件では、事件前に植松が衆議院議長に宛てた手紙の中で、「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界」「障害者は不幸を作ることしかできません」と書いていた。

世の中に大きな衝撃を与えた一方、ネット上に植松のこうした言葉や行為に賛同する声が多数上がったほか、植松の行為について「ある意味で分かる」と発言した政治家もあった。

「私は安楽死で逝きたい」という言葉が『文藝春秋』誌の表紙に登場したのは、まだ事件の衝撃が冷めやらぬ11月のことだ。脚本家の橋田壽賀子の「歳をとって社会の役に立てなくなったら、安楽死で死にたい」という素朴な思いには多くの共感が寄せられ、その手記は同年の文藝春秋読者賞を受賞。翌2017年には橋田の文春新書『安楽死で死なせてください』が刊行され、さらに賛同を集めた。帯には「人に迷惑を/かける前に/死に方と時期くらい/自分で選びたい」と書かれている。

2019年6月には「NHKスペシャル」が、難病を患う日本人女性のスイスでの医師幇助自殺を密着取材し番組化。姉妹に付き添われてスイスに渡り、自殺幇助クリニックの一室で毒物の点滴ストッパーを自分で外して死に至るまでが、死の瞬間の映像を含めて放送された。

NHKスペシャルサイト内「彼女は安楽死を選んだ」(https://www.nhk.or.jp/special/detail/20190602.html)より

京都ALS嘱託殺人は「心温かい医師」によって起きたのか

そして、同2019年11月に起きたのが京都ALS嘱託殺人事件だ。死にたいと望むALS患者の女性とネットで知り合った2人の医師、山本直樹と大久保愉一が金銭で殺害を請け負い、女性の自宅を訪れてわずか20分ほどで胃瘻(いろう)から薬物を注入して殺害し立ち去った。

2人は過去に『扱いに困った高齢者を「枯らす」技術』という電子書籍を出版しており、逮捕後まもなく、別の難病女性の診断書をスイスでの医師幇助自殺目的で偽造した余罪が明らかになった。が、苦しんでいる人に寄り添った心温かい医師だと2人を称賛したり、日本でも安楽死を合法化すべきだと主張したりする声は上がり続けた。

私には、相模原事件から後、衝撃的な出来事が起こるたびに、人々がその衝撃に心を揺さぶられるまま無防備に「安楽死」という言葉に惹きつけられていくように見えた。

やがて京都の事件の捜査過程で、山本は大久保の指南により医師免許を不正に取得していたことが判明。さらに2人には紛れもない殺人の疑惑が浮上する。

精神障害を患って家族に多大な介護負担を強いていた山本容疑者の父親を、母親を含む3人で共謀し、2011年に医療の知識を悪用して殺害したとして2021年5月に2人は殺人容疑で再逮捕、母親も逮捕された。そして2023年2月、父親殺害事件で京都地裁は山本に懲役13年、山本の母親に懲役11年を言い渡した(被告側はともに控訴)。

今年10月24日、大阪高裁は山本の母親の控訴を棄却した。(LOCO/PIXTA)

裁判の過程で明かされた3人のメールの中には、大久保の「点滴にナトリウムをぶち込んだらいい。じわじわ死んでいく。もっと簡単な方法は無色透明な液体洗剤でも注入すること。俺老人は早く死んでほしいとマジで感じる。枯れ木に水の老人医療とはよく言ったものだ」という言葉が含まれている。

電子書籍のタイトルとも重なり、高齢者を始末するべき「社会のお荷物」とみなしていたことがうかがわれる。死にたいと望むALSの女性を殺害した行為が、この考え方と無縁であったとは考え難いだろう。

(#2に続く)

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