見て見ぬふり?

 詩人の吉野弘さんに「過」という一編がある。〈日々を過ごす/日々を過(あやま)つ/二つは/一つことか〉。日々、生きていれば過ちは付きものさ…と肩にそっと手を置くような詩に読める▲あるいは、人生なんて過ちだらけ…と、わが身を顧みるようでもある。人生になぞらえると味のある一編だが、これを「社風」に当てはめると、あるまじきことになる▲日々、不正を見過ごし、やり過ごす。その結果、過ちが繰り返される。ダイハツ工業の品質不正問題には「過」の文字が付きまとう。全ての車種の出荷停止という、前代未聞の事態となった▲衝突試験やブレーキの試験などで、うそのデータを記して認証を得ていた。短い期間で開発を急がねば、という強烈なプレッシャーが従業員にあり、追い込まれて不正に及んだとみられる▲「経営陣が現場の負担やつらさを把握せず、放置してしまった」。ダイハツの社長は会見でこう述べた。不正は30年以上に及ぶとされ、現場からは数知れない“悲鳴”が上がってきただろう。管理する側には何一つ聞こえなかったのか。首をひねるほかない▲「現場任せ」という名の「見て見ぬふり」が疑われる。過ちの「過」に、秘匿の「匿」。年の瀬になって「今年の漢字」には刻みたくない文字が一つ、また一つと頭に浮かぶ。(徹)

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