モンゴルで伝統儀式を担う祈祷師たち、なぜか多いラッパーからの転身 儀式で天から降りてきたのは酒好きの陽気な“ご先祖さま”だった

自分の曲にアルコール過剰摂取の問題も取り込んだナルマンダホ、踊りのポーズも披露してくれた

 「ジンギスカン」や「遊牧民」で知られるモンゴルはかつての帝国の歴史を慈しみつつ近代化の道をまっしぐらに走っている。その中で生き残り、再流行しているのがシャーマン(祈祷師)だ。しかもその道に入るのは時代と文化の先端を行くラッパーが多いという。祈祷と音楽が不思議に融合するモンゴルの今を探ってみた。(共同通信=半沢隆実)

 ▽ハマーで現れた祈祷師

 渋滞の首都ウランバートルから車で約6時間、枯れ葉色の草原と碧空に挟まれた地平線を北西へ追いかけ、いい加減うんざりした頃、モンゴルで第2の都市エルデネトに到着した。
 第2の都市とはいえ、人口は10万人程度だ。急速に人口が増えて1300万人の巨大都市と化したウランバートルに比べれば、うらぶれた鉱山の田舎町といった風情だ。ウランバートルの中心部には、世界ブランドの高級ブティックやおしゃれなレストランが軒を連ねるが、エルデネト中心部にあるアパートの壁には、懐かしいウラジーミル・レーニンの肖像が描かれていた。
 レーニンは、マルクス・レーニン主義を打ち立て、1917年にロシアで社会主義革命を成功させた歴史上の人物だ。モンゴルが1990年に一党独裁を放棄するまでは、ソ連の指導で社会主義国家建設に邁進した国であることを思い出させてくれた。
 この街でのお目当てはムンフエルデネという男性だった。
 ムンフエルデネは、シャーマンとして活動する傍ら、ヒップホップ・ミュージシャンだけにとどまらずカーレース開催など、若者文化の最前線にいる。人懐こい笑顔にあどけなさを残した青年だった。

儀式の準備をするムンフエルデネ、素顔は優しい笑顔の青年だ

 ムンフエルデネは、私と同行カメラマンを、エルデネト郊外にある自分の別荘に案内してくれた。ログハウスの立派な建物だ。早速、準備にとりかかる。別荘の一室にしまってあったユキヒョウの毛皮や鳥の羽などをあしらった色鮮やかな儀式用衣装を身にまとった。
 衣装一式の重さは30キロにもなる。お面をかぶりゆっくりとした足取りで庭に出て、彼らが「天」と呼ぶ先祖がいる空の方へお清めの牛乳をまく。室内に戻りリビングの中央で太鼓を叩き始めると一瞬で声が変わり、別の人格になっていた。周囲では、彼の妻と母親、知人らが見守っていた。

ご先祖に降りてきてもらう前に清めの牛乳を「天」に向けまくムンフエルデネ

 事前に受けた説明によれば、儀式では天にいるご先祖や精霊を「降ろす」儀式を、シャーマンがつかさどっている。
 最初に呼び込んだのは、900年前に109歳で没したというムンフエルデネの祖先の男性だった。ご先祖は日本から会いに来た私とカメラマンを歓迎してくれた。
 集まった家族らへのお告げに続き、私の悩み事も聞くという。促されるまま私はひざまづき頭を彼の膝に預けた。
 うめき声とともに私の頭を撫でた“ご先祖”は、私の息子たちの育て方や年老いた母親への接し方のアドバイスをしてくれた。「家族の絆」や「思いやり」などがキーワードだったと記憶している。
 気がつくと今度は、通訳の女性助手がムンフエルデネの前にひれ伏し、お告げを受けていた。間もなく涙を流し始める。彼女は後から「関係がぎくしゃくする父親とのことを相談していた」と話していた。

私の手を触って祖先のお告げをするムンフエルデネ

 ▽火をむしゃむしゃと

 そんなやり取りの後、広い庭にみんなで移動して、今度は火の精霊を天から降ろす儀式が始まった。たき火の周囲にはモンゴルの地酒やチーズなど、伝統料理がお供え物として並んでいた。再び太鼓を叩き憑依状態に入ったムンフエルデネ。火の精霊となって、地酒を小さな杯で飲み干すと、たき火から火の付いた木片を取り出してむしゃむしゃと食べた。
 続いて降りてきたのは、ムンフエルデネの別の祖先で父方5代前の男性だった。表情は頭の飾り付けの後ろに隠れ見えないが、ムンフエルデネの上半身は前後左右に揺れる。
 87歳で没したという男性は、ユーモアたっぷりのご先祖だった。他の祖先や火の精霊が先に降臨したため「呼び出すのが遅い」と小言をつぶやく。家族が「遠路、日本から客人が来ている」と告げると、機嫌を直したようで、「天」での暮らしぶりを話してくれた。
 地酒を飲んで、「天の方でもおいしい酒を飲んで楽しくやっているよ」と笑った。大の酒好きらしい。
 2人目のご先祖が去り、素に戻って落ち着いたムンフエルデネにインタビューを続けた。「憑依中の言動は何も覚えていない」という。火の精霊を降ろしている最中には、確かに精霊の“好物”だという火の付いた木片を食べていたが、「やけどはしていない」と平然と話した。

たき火を前に火の精霊を降ろすムンフエルデネ。儀式の最中にはこのたき火の中から燃える木片を口に運び、美味しそうに食べた

 ムンフエルデネが、シャーマンになることを決めたのは約15年前、既にラッパーとして活動していた10代の頃だ。自宅で夜中に何かの魂の訪問を受けた気がした。「魂の訪問は、シャーマンになる運命だからだ」。別のシャーマンからこう告げられ、決心した。
 修行は夢のお告げを元に独学だった。やがて「ラップの歌詞が、天から降りてくるみたいにすらすら出るようになった」。
 「今のモンゴルは家族や教育の基礎が失われている」。恋愛や友情、家族や自然との関係まで、幅広い人間の感情をラップに託して歌っている。
 記者として降霊と憑依を100%真に受けることはできないが、家族や友人たちは、祖先と信じる状態のムンフエルデネさんに悩みを聞いてもらい、共に笑ったり、泣いたりしていた。
 モンゴル人の多くが遊牧民だった時代、真冬には気温がマイナス30度近くに達する厳しく長い夜を、そうやって心を温め合って過ごしていたのだろう。急速な近代化や核家族化が進む中、シャーマニズムが復活している理由が少し理解できた気がした。

 ▽変化する社会

 かつて社会主義路線をまい進したモンゴルは東西冷戦終結後、民主化と経済の自由化にかじを切った。世界有数の銅鉱山などの開発が盛んになり、2011年には実質国内総生産(GDP)が前年比17・3%増と、隣の中国すらしのぎ世界でトップレベルの経済成長を遂げた。
 一方、急激な富の流入で貧富の差が拡大。政治家らの汚職も横行し、売春や麻薬、アルコール過剰摂取がまん延する。そうした現実に対する若者の反発が、社会的メッセージの強い音楽に共鳴しラップが流行した。
 経済バブルの最中、10年ごろにはシャーマンブームが起きる。流行の原因は分からない部分が多いが、社会の変化に戸惑う庶民に頼りにされた。一時は2万人近いシャーマンがいたと推計されている。
 やがて二つの潮流は融合した。
 シャーマンでもある人気ラッパーの一人、42歳のナルマンダホも、ウランバートルのスタジオでインタビューすると、シャーマンとして活動することで「天からの啓示で、歌詞や歌のメッセージをスムーズに思いつく」と話した。故郷の民話を曲にした際は「民話に登場する蛇や巨木などのイメージがすらすらと歌詞になった」
 祈祷とラップの関係については「人々に正しいメッセージを伝えるという意味で、両者は同じだ」と話す。「政治家ら1割だけが良い生活を送り、8~9割は貧困状態にある。ストレスを抱え離婚も多い。楽しみもない」

シャーマンとして活動しながら、自分の曲にアルコール過剰摂取の問題も取り込んだナルマンダホ、踊りのポーズも披露してくれた

 社会問題に取り組もうとするのは、モンゴル人ラッパーに共通する特長でもある。
 ナルマンダホは人気があった時期に酒に溺れ始め「強い酒のために体を壊してしまった」という。酒は約1年前にやめて、最近新曲を発表したばかり。アルコール過剰摂取の悩みを抱えていた自分自身も含め、社会と人々に向けて音楽と祈りで答えを模索し続けている。
 ナルマンダホと話していて気付いたのは、シャーマニズムへの真摯な取り組みだ。ラッパーとして人気を得たり、酒に溺れたりした紆余曲折の後、シャーマンの道も歩むことを決めたが、「その頃には準備が不十分な状態でシャーマンの道を選んでしまった」と振り返った。今は自然の中に身を置いて瞑想し、心を整えることをミュージシャンとしてのあり方にも生かしている。
 ウランバートルで会ったもう1人のシャーマン兼ラッパー、ムトゥネは35歳。高校時代に学園祭で友達と歌ったのをきっかけに音楽を志した。地元の芸大で油絵やデジタル技術などを幅広く学びながら、本格的に音楽活動を始めた。
 他のヒップホップバンドをこき下ろすなどとがった歌詞で人気を得たグループを経て、14年からソロ活動に入った。シャーマンになったのは16年から。ムトゥネも「生まれ持った素質がある」という別のシャーマンからのアドバイスを受けてその道を志した。
 ただムトゥネの場合、祈とうに関しては少し慎重だった。自分が本当にシャーマンとしての道を生きていけるかの疑問を抱えていて、シャーマニズムよりむしろ自然と自分、自然とモンゴルの文化の結びつきを確認しているように見えた。

モンゴルの音楽と自然、文化の結びつきを大切にしたいと言うムトゥネ

 「ウランバートルにいると、社会の不満に苦しむ人々のメッセージが多く自分に入ってくるため、郊外に出て自然のエネルギーを感じるようにしている」という。
 伝統や秩序が失われつつあるモンゴルは「暗闇の中に入ろうとしてるように感じる」とムトゥネ。「自然や天、伝統をモンゴルでどう守っていくかを考えて、音楽にも生かしていく」と、シャーマニズムとミュージシャンの狭間であるべき道を模索中だ。

 ▽自然回帰

 モンゴルラップの先駆け的存在から、最も人気があるシャーマンとなったのが共に40代の夫婦、バヤラーとニャマーだ。
 夫のバヤラーは、1990年代の西洋音楽流入期、ライブを開いても「観客が7人だけの日もあった」という。「過激で汚い言葉を使って、モンゴルでのさばり始めた中国人を批判した」「今はまともになったが、自分もチンピラだった」。バヤラーは、照れながら当時を振り返った。
 最近は「モンゴルの自然や伝統の素晴らしさに若者が気付いてほしい」との思いから、自然回帰を訴える。「シャーマンの後継者」という曲で2人は歌った。「カラス、オオカミ、蛇、ワシのよろいを身にまとい、天から精霊を呼び招く」

モンゴルラップの先駆け的存在から、最も人気があるシャーマンとなった夫婦、バヤラー(左)とニャマー

 幼い頃から「不思議な能力があると言われた」妻のニャマーが主に祈りとお告げを担当する。よく当たるとの評判が広がり、一般市民から政治家まで相談が殺到する。
 「金銭問題から家庭の不和まで、相談者の祖先と話をして正しい道を伝える」とニャマー。
 半面、2人の悩みは同業者のねたみだと明かした。シャーマンとしての人気をうらやむ同業者が「私たちに呪いを掛けようとしている」と真顔で話した。年齢を正確には明かしてくれなかったのも、この心配からだった。「名前はもうみんなに知られている。その上で生まれた年月が分かってしまうと呪いが掛けやすくなる」と頑として教えてくれなかった。

バヤラーとニャマーの部屋には金色のコブラ7匹が彫り込まれた重厚な椅子や仏画、自然崇拝を象徴するアイテムが混在する

 インタビューの間ニャマーが座っていたのは、金色のコブラ7匹が彫り込まれた重厚な椅子だ。仏画も多く飾られた2人の部屋には、モンゴルの混沌と伝統が行儀よく共存していた。

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