生きていたら34歳 亡き娘の誕生日に米34キロ贈る 2008年から続けた母「私も成長」

同級生と学芸会の練習に励む、翔南小5年時の大城ちなみさん(右下)と、逸子さん(右上)=提供

 【南風原】南風原町喜屋武の大城逸子さん(65)は1日、四肢まひの重度障がいがあり2007年4月に17歳で亡くなった娘のちなみさんの誕生日に合わせ、34キロの米を町社会福祉協議会に贈った。娘が生きた年と同じ期間続けようと、亡くなった翌年から、娘が生きていたら重ねていた年齢と同じ重さの米を買って届けてきた。今回で最後となり、「娘と一緒に私も成長できた。支えてくれた全ての人に感謝を込めた」と振り返った。(南部報道部・国吉聡志)

 3人きょうだいの末っ子として生まれたちなみさんは、保育園通園中の生後4カ月に髄膜炎を患い、その後脳性まひと診断された。話すことができず、生活では介助が必要だった。

 当時は3歳になるまで障がい児保育が受けられなかった。逸子さんは町に働きかけ、ちなみさんが2歳の時、社協から一室を借りて障がい児親子通園施設「ゆうな園」を開いた。

 その後、逸子さんは「他のきょうだいと同じように育てたい」と、ちなみさんを養護学校(当時)ではなく、地元の小中学校に通わせようと町教育委員会と掛け合った。

 「養護学校が合っている」「小学校では自由に車いすで移動できない」といった声に反論し、思いを伝え続けた。「道を開きたいと駆け回った17年だった」と振り返る。

 1日に町社会福祉協議会であった贈呈式には、夫の定男さん(69)や次男の智也さん(37)も出席。逸子さんは「少しでも、困っている人たちの助けになればと続けてきた。これからは音訳ボランティアに挑戦したい」と語った。

 同社協の大城正治会長は「長年、地域福祉に取り組んでいる姿勢に敬意を表したい。引き続き南風原を住みよい町にするため、共に汗をかいていきたい」と感謝した。

南風原町社協の大城正治会長(右端)に米を贈呈する大城逸子さん(左から3人目)、夫の定男さん(同6人目)ら=1日、南風原町・同社協(提供)

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