「伝説の試合」から34年目 新たな歴史をつくるため、大分雄城台高校野球部が奮起 【大分県】

昨年、創立50周年を迎えた大分雄城台高校。記念事業の一環として、1989年の夏の全国高校野球選手権大分大会決勝で対戦した鶴崎工業との試合が、10月に現役部員同士で行われた。34年前の決勝は、大分雄城台にとって甲子園出場に最も近づいた思い出に残る一戦だった。4-3で迎えた九回裏、大雨でノーゲームとなり、翌々日の再試合は2-6で敗れ、涙をのんだ。今も県内の野球ファンの間で語り継がれる「伝説の試合」だ。

当時を知らない監督、選手たちではあるが、「再戦」に向けたOBの並々ならぬ思いの強さを感じた。試合当日にはOBだけでなく、生徒らが声援を送り、吹奏楽部も駆け付け、球場は夏の大会のような雰囲気に包まれた。26歳の佐藤慎一郎監督は「見えない何かに後押しされながら、選手はプレーしていた」と振り返る。8月に新チームとなって最初の公式戦となる県選手権の大分支部予選で対戦したときは、鶴崎工業に2-4で敗戦したが、この試合では積極的に初球からバットを振り、球場の雰囲気に後押しされて6-3で勝利した。

「伝説の試合」の再戦が行われた

「再戦」を機に、選手の目の色が変わった。守備の失策が多かったことで課題が明確になり、攻撃では「夏は打たないと勝てない」との思いが強くなった。冬場の体づくりに力が入る。「速く、遠くに、投げて飛ばす」「強い体、けがをしない体」を合言葉に筋力トレーニングやダッシュを繰り返す。成果は顕著に表れた。エースの小西瑛(2年)は体重が10キロ増え、球速は最大141キロまで投げることができるようになった。

キャプテンの立川航大(同)は「僕ら2年生は50回生。節目の年の学年であり、OBの方々の期待も感じている。伝説の試合の再戦以降、本気で甲子園を目指そうという雰囲気になった。夏に向けて最高の体づくりをして、最高の結果を残したい」と決意を語った。佐藤監督は「まだ、力を出し切れるまでには到達していないが、大きな花を咲かせるための根は太くなっている」と期待を込めた。悲願の甲子園出場に向けて、部員の野球ノートには、実現に向けた具体目標とその過程で何をするかが記されている。充実したひと冬を越えようとしている。

50回生となる2年生を中心に甲子園を目指す

(柚野真也)

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