「甲子園ってなんだろうがついに答えになる」“あの夏”にこだわり抜いた元高校球児たち 3年越しに恩師と仲間と踏んだ夢舞台

2020年、新型コロナの影響で中止となった「夏の甲子園」。多くの球児が夢を絶たれた。人生の大きな目標を失った「あの夏」を取り戻すために、聖隷クリストファー高校のOBが3年越しの甲子園の舞台に立った。

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11月29日、秋の甲子園球場。「聖隷クリストファー高校」のユニホームに身を包む選手たち。ただ、彼らは、高校生ではない。甲子園という憧れの舞台を奪われた“あの夏”を取り戻したいー、特別な思いでこの地を訪れた。

聖隷クリストファー高校出身、亜細亜大学・準硬式野球部の保坂将輝さん。小学生以来“野球一筋”だったが、高校時代に、ある大きな心残りがあった。

「野球やっていた意味あるのかな」

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「甲子園に出られたっていう中で、甲子園がなかったと思うと、唯一そこだけが、甲子園に行きたかったというのが心残り」

2020年。新型コロナウイルスの影響で、戦後初、夏の甲子園が中止に。保坂さんは、当時高校3年生。聖隷クリストファー高は、県の独自大会で優勝したが、その先の憧れの舞台に立つことはかなわなかった。

保坂さんが高校時代毎日書いていた“野球日記”を見せていただいた。中止決定後も、「県で1番になる目標は変わりない」「悔いのない高校生活を」と前向きに見える言葉をつづっていたが、本心は違った。

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「野球やっていた意味あるのかなっていうぐらいだった。正直、野球少年が行きたいところって甲子園。(甲子園に憧れて)始めてきた野球が、甲子園がないまま終わるってなんだろう。なんのために野球をやったんだろうって。誰に怒ったらいいかわからないし、どこを悔しがったらいいのかもわからないので、ただただもがいていた」

ずっと抱え続けた、複雑な思い。そんな中、2023年5月、うれしい知らせが届いた。3年前、甲子園への夢を絶たれた全国の球児を集めた大会が開催されることになったのだ。当時の高校球児らが企画・運営する大会で、会場は、聖地・甲子園球場。聖隷クリストファーOBチームも保坂さんがリーダー役となり、この大会に参加することを決めた。

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「当時の記憶がフラッシュバックしてきた。やっと、甲子園に行けて本当の甲子園を知れるんだ、甲子園でできる。甲子園ってなんなんだろうっていうのがついに答えになるということで、喜びをかみしめていた」

大会の運営資金は、クラウドファンディングなどを活用、半年前から参加する球児らが自分たちで集めてきた。大会が間近に迫ったこの日も、メンバーが集まり、協力を呼び掛けた。

こうした活動に特に力を入れているのが、もう1人のリーダー・大橋琉也さん。愛知県で看護師として働いているが、時間を見つけては、1人でチラシ配りをすることもあったという。

<聖隷クリストファー高校OB 大橋琉也さん>
「ビラを渡しても『大丈夫です』と断られてしまうことも結構あるが、甲子園という場所でもう一度全員で野球をやりにいきたいと思い、頑張っている」

一度は奪われてしまった甲子園の舞台を今度は自分たちの手で掴み取り、いざ、憧れの地へ。

「あの夏を取り戻せ」

「あの夏を取り戻せ」と名付けらたこの大会には、3年前、夏の甲子園に代わって開かれた都道府県ごとの独自大会で優勝するなどした全国42チームの元高校球児が参加。さまざまな交流イベントが行われた。

迎えた大会当日。聖隷クリストファー高校OBチームも、甲子園球場にやってきた。この日を前に、1つ喜ばしい情報が飛び込んでいた。抽選の結果、大橋さんが選手宣誓の大役を務めることになったのだ。

<聖隷クリストファー高校OB 大橋琉也さん>
「きのう練習したが、頑張って思いを伝えられればと思う」

聖隷OBナインには、もう1つうれしいことがあった。恩師・上村敏正監督が参加してくれたことだ。

<聖隷クリストファー高校 上村敏正監督>
「この場所に立つことはなかなか経験できることじゃないので、彼らの人生の中でいい1ページになればと思う。とにかく元気出して頑張ってやれということ」

いよいよ、聖隷OBナインが甲子園のグラウンドに立つ。上村監督がノッカーを務める中、5分間のシートノックが始まった。胸に「Christopher」、左袖には「SEIREI」を記された純白のユニホームを着た選手たちが史上初めて、甲子園球場のグラウンドに立った記念すべき瞬間だ。

<聖隷クリストファー高校OB 竹下楓介さん>
「最高。いろいろと相まって、特別な感じがする」

このあと行われたのが、大会のメインイベント全チーム揃っての入場行進。あの夏から3年の時を経て、ついにたどり着いた憧れの甲子園。夢舞台の土の感触を思いきり味わいながら、力強く踏みしめた。

いよいよ、注目の選手宣誓。大橋さん、一世一代の大役だ。

普通の高校生よりも、もっと特別な場所

「2020年5月20日。戦後初めて甲子園大会が中止となった日のことをわたしたちは忘れません。 わたしたち球児にとって、高校生活のすべてと言われるほどの大きな目標を失い、あるものは野球を続け、あるものは野球から離れ、3年の時が経ちました。 過去を全て取り戻せないことを私たちは知っています。 それでも未練に終止符を打ち、これからも続いていくそれぞれの人生に向き合うために私たちはあの夏にこだわり抜きます」

あの夏を決して諦めないー当時の高校球児を代表して思いを伝えた。その声は、球場中に響き渡った。

<聖隷クリストファー高校OB 大橋琉也さん>
「これ以上のないものを体験できたなと思う。こうやって甲子園に立てて、上村先生と野球ができて、高校野球って楽しかったんだとあらためて思った」

<聖隷クリストファー高校OB 保坂将輝さん>
「僕たちにとっては普通の高校生よりも、もっと特別な場所になっていたので、そこでできたことは、もう言葉では表せない。
Qこの経験はこれからの人生に生きる?
「生きる、絶対。高校野球をやってよかったなと思う」

「戦後初、甲子園大会中止」。
3年前、こうした言葉がさまざまなメディアで飛び交った衝撃、そして、それを知り涙する高校生の姿が忘れられないという方、多いのではないか。私もその一人だ。

当時の高校球児を集めた大会が開かれることになり、そこに聖隷クリストファー高校OBが参加すると知った時、“取材”という形で彼らに寄り添うことはできないか、と強く思い、話を聞かせていただくことを決めた。

取材を進める中で感じたのは、「甲子園が高校球児にとって本当に特別な舞台であること」、そして「覆せないと分かっていても“甲子園大会中止”を完全に飲み込むことができなかったということ」だ。だからこそ、甲子園の土を踏みしめ、笑顔で入場行進をする聖隷OBナインの姿は、とても輝いて見えた。

聖地・甲子園に立ち、一度は消えてしまった「あの夏の夢」を「現実」として取り戻した元高校球児たち。もちろん、現役の高校球児として甲子園に立てなかった以上、すべてを取り戻すことはできていないかもしれない。それでも、多くの高校球児が気持ちを整理し、時計の針を進めるきっかけになった、すばらしい大会だったと思う。

コロナ禍で活躍の舞台を奪われた人は、高校野球界以外でも、さまざまな分野に存在する。3年越し、4年越し、たとえ10年越しになっても、当時の若者たちの夢を“形”にする取り組みは大切であると改めて感じ、また、報道機関の一員として、そこに何らかの“力添え”をすることを続けたいと、あらためてかみ締めた。

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