冬休みのオススメ本(上)年末年始に備えて その6

林信吾(作家・ジャーナリスト

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・この休暇中に読んで欲しいオススメの本を紹介。

・『サピエンス全史』。これまでの常識を否定する点で「21世紀進化論」に通じる。

・『巨悪vs言論(上・下)』。昔も今も派閥と金権から自由になれない政界について解説。

岸田首相はこの年末年始、読書にいそしむほど心のゆとりがあるだろうか。夏休みには、世に言う「日ユ同祖論」(日本人とユダヤ人の祖先は同一だった、という考え方)に基づいて書かれた小説を読んだ、という話が取り沙汰されていた。

休暇中に小説を読むのは結構だ。好みの問題はあるにせよ、突如、

「日本人とユダヤ人の祖先は共通である。だからわが国もイスラエルのような国民皆兵の国家にしなければならない。とりあえず、軍備につぎ込む金が必要だ。大増税だ」などと言い出したわけでもないのだし(後半は、どこかで聞いたような気もするが笑)。

実際問題として、8月11日に東京・丸の内の丸善本店を訪れた首相は、後述する『サピエンス全史』をはじめ『まるわかりChatGPT&生成AI』(野村総合研究所・編)や、『世界資源エネルギー入門 主要国の基本戦略と未来地図』(平田竹男・著 東洋経済)、小説でも『街と、その不確かな壁』(村上春樹・著 新潮社)等々、全部で10冊も購入したという(朝日新聞デジタルなどによる)。

前にも述べたが、情報の一部だけ切り取って喧伝されると、当人の人格について誤解を招く。あくまでも私の感想だが、Wikipediaのコピペを切り貼りしただけだと悪評ふんぷんのなんちゃら「国紀」を愛読書だと公言し、周囲にも推奨していた元首相との比較で言うならば、結構まともな読書傾向なのではあるまいか。

話を戻して、前掲の『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ・著、柴田裕之・訳)は、是非とも読んでいただきたい。つい最近、河出文庫のラインナップに入った。消費税込みでも1100円でお釣りが来る。上下2巻分でも、今時一杯やるよりずっと安い。世界的なベストセラーとなった本であるから、本誌の読者の中には、すでに読まれたという方もおられようが、もし未読であるなら、この機会を逃す手はない。翻訳もこなれていて、さくさく読み進めることができると思う。

とりわけ前巻は『21世紀の進化論』と題してもよかったのではないか、とさえ思えた。ダーウィンの進化論と称される書物の原題は『THE ORIGIN OF SPECIES 種の起源』であるが、言うまでもなく今に続く生物学の根幹をなしている。煎じ詰めて言うと、全ての生物は神が創造したのではなく、自然界において「生存競争」と「適者生存」の原理に基づいて進化してきた、というもの。今の我々がこれを聞いても、とりたてて驚かされたりはしないが、19世紀(初版は1859年)にあっては、それまでの常識(=聖書に書かれた天地創造)を真っ向から否定するものであった。

話を『サピエンス全史』に戻して、この本の中では「認知革命」という考え方が提唱されている。現生人類=ホモ・サピエンスは、自分たちの脳内で産み出した理念――それは「神」であったり「祖国」であったりするわけだが、それを共通の利害として認知することができたために、圧倒的に多数の集団を形成し、他の非サピエンスのヒト科生物(ネアンデルタール人など)との生存競争に勝ち残り、地球の支配者になり得たのだという。

「もしネアンデルタール人やデニソワ人が、ホモ・サピエンスと共に生き延びていたら、どうなっていただろう?」「たとえば、信仰はどのように発展したか?『旧約聖書』の創世記は、ネアンデルタール人をアダムとイヴの子孫であるとし、イエスはデニソワ人の罪を購うために死に、クアラーン(コーラン)は善きヒトなら種を問わずに誰のためにも天国に場所を確保しただろうか?」

「アメリカの独立宣言は、ホモ属の構成員はすべて平等に造られていることを自明の真理としたであろうか?カール・マルクスは、あらゆる人類種の労働者に結束を促したであろうか?」第一章の冒頭近くから、これである。読みながら、すごい、とつぶやいてしまった。

かくも壮大な文明論を読んだ後では、日本人とユダヤ人の祖先が同一か否か、神道と聖書の共通項は……など、なんたる矮小かつおバカな議論かと思える。岸田首相に、読み比べた感想を伺いたいものだが、まず確実に「今それどころではない!」となるだろう。笑

サピエンスの「未来予想図」も描かれているが、高度に発達した遺伝子工学を駆使して、たとえば進化のメカニズムを知るために、クローン生命体としてのネアンデルタール人を産み出すことは、十分可能性があると書かれている。この点は私も同意見なのだが、果たして「ヒト族の実験動物」などというものが許されるのか、という議論に踏み込むや、著者の明晰さに曇りが生じたと言うか、急に歯切れが悪くなったようにも思える。

私などは、倫理的な葛藤は最後まで残るにせよ、結局は知的好奇心が勝るのではないか、と前々から考えている。このあたりはまあ、知的な領域で同じ土俵に立っているかのような物言いをしては失礼であるが、やはり『聖書』を読んで育ったか否かの差なのかも知れない。

人間が神になってよいのか、という疑問は、ユダヤ教・キリスト教・イスラムに帰依した「経典の民」にとって、簡単なものではない。しかし、あまり拘泥するようでは、「神が人間を造ったのではなく、人間が紙を発明したのだ」という、近代科学の原則と矛盾するのではないか。

次にオススメしたいのは『巨悪vs言論(上・下)』(立花隆・著 文春文庫)である。どうしてこの時期にこの本なのかは、多言を要しないのではあるまいか。自民党岸田政権は今、安倍派など派閥のパーティー券キックバック問題で揺れている。もともと政治団体(=派閥)のパーティーは資金作りのためであったが、議員の当選回数などによって、パーティー券を売りさばくノルマがあり、そのノルマ以上に売った分は、派閥から領収書も要らない「裏金」として環流(キックバック)される慣例だったそうだ。

この原稿を書いている19日には、とうとう東京地検特捜部が安倍派・二階派の事務所に対する強制捜査に着手した。安倍派の場合、総額5億円もの裏金を作ったとまで言われているから、これは間違いなく、特捜部が動く案件である。大物議員が立件されるか、未だ先行きは不透明だが、時間の問題だと見る向きが多い。岸田首相は、疑惑を指摘された安倍派の閣僚らを一斉に更迭し、延命を図ったが、これがうまく行くとは考えにくい。安倍派は今も自民党内の最大派閥であり、すでに「ポスト岸田」を視野に入れた動きが出ていると伝えられる。安倍派も安倍派で、政調会長を辞任した荻生田氏が「新安倍派」を旗揚げするとか、高市派の旗揚げが先だろうとか……

前掲書のサブタイトルは『ロッキード事件から自民党分裂まで』というものだが、時系列を追って、主として雑誌に発表した記事を再構成したもので、読みやすさも抜群だ。歴史は繰り返す、という言葉があるが、自民党は昔も今も派閥と金権から自由になれないのだということがよく分かる。

今次も、まあ政局が大きく動く時の常ではあるが、色々な人が色々なことを言っている。中でも、検察の動きを一種の政治的謀略だと決めつけるような言辞が、早くも見られる。本書の下巻を、是非とも熟読していただきたい。田中角栄という政治家は、今でも再評価の動きが見られるほどで、大衆的人気という点では安倍元首相も遠く及ばず、よくも悪くも希代のカリスマであった。その彼が金権を追求され、議席を失い、最終的には逮捕されたことから、陰謀論や検察批判が沸き起こったのである。この本では、そうした議論に対して、事実に基づいた反論がなされている。

その流れで言うならば、同じ著者の『論駁 ロッキード裁判批判を斬る』(朝日新聞社)も、一読に値すると思う。高名な英文学者が、知的生活者どころか破廉恥きわまる金権政治応援団(単なる田中ファンだったのかも知れないが)であったことなどが暴き出され、これまたミステリー小説を読むような面白さを味わいつつ、どうして元首相が被告の身となったのかがよく分かる。

もっと基本的なところから、戦後日本の政治の流れを理解したいという向きには、手前味噌ながら『日本人の選択 総選挙の戦後史』(葛岡智恭と共著 平凡社新書)がもっとも分かりやすいのではないかと思う。電子版ならば、10年ごとの区切りで分冊配信されており、なんと100円台で読めるし、新書は2007年版だが、これに『2000年代 民主党政権の崩壊』を加えた合本でも1980円である。

他にも、年末年始のイベントにからんだオススメ本があるので、次回紹介させていただく。

トップ写真:イメージ(本文とは関係ありません)出典:Ian Waldie / GettyImages

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