小林幸子 デビュー60周年むかえる“ラスボス”の「大晦日の予定」

2024年にデビュー60周年の節目を迎える(撮影:加治屋誠)

【中編】小林幸子 圧巻の“ラスボス衣装“のきっかけは「あがり症対策」だったより続く

天才少女と呼ばれた10歳での鮮烈デビュー、見る者すべてを圧倒するド派手な衣装で“大晦日の風物詩”となった時代を経て、近年ではインターネットの世界で新境地を切り拓き、いまや親子3世代から幅広く支持される歌手・小林幸子さん(70)。古希を迎え、2024年にはデビュー60周年を控える。

長年、出場を続けた『NHK紅白歌合戦』では、ド派手な衣装が話題をさらい、いつしか彼女の歌と大掛かりな豪華衣装は年末の風物詩にもなった。26歳で初出場して以来、33年連続で出場してきたが、’12年の大晦日。NHKホールに小林さんの姿はなかった。

その年、小林さんの事務所スタッフ2人が退社すると、小林さんへのバッシング報道が相次いだ。イメージが大きく毀損したなかでの紅白“落選”だった。そのとき抱いた率直な思いを聞きたかった。「悲しかったのか、悔しかったのか、また絶対出てやるなのか、二度と出てやるもんかなのか、どんな感情に?」と記者が問うと、にっこりほほ笑み、こう言った。

「それ全部。そのときの気持ちに全部入ってます。それぐらい、一言では表現できない気持ちだった」

大きなショックを受けたことは間違いないだろう。そして、打ちひしがれた彼女を支えたのが、前年に結ばれた8歳年下の夫・明男さんだった。だが、バッシング報道のなかには「騒動の元凶は夫」と言わんばかりの記事もあった。

「主人は本当に戦友。彼がいなかったら私、ちょっと精神的に参ってたかもしれない。彼ひとりが悪い人みたいな書き方もされていたのに彼、『真実は一つ、時間がたてば必ずわかってもらえる』と、泰然としてるんです。そんな主人がいてくれて、どれほど救われたか」

小林さんが「とにかく明るい人」と言う夫・明男さんは再生医療に関わる事業を手掛けている。

「若いころ、苦労したからかとても自立していて。夫は料理などの家事を自分がすることをまったくいとわないんです。そして、とても優しいの。先日、歯痛で私の頰が腫れたときは、夜中に湿布を買いに走ってくれたんですよ」

なにより、歌手・小林幸子のいちばんの理解者でもある。

「私が新しいことを始めようとすると、誰よりも喜んでくれて。『面白いねぇ』って応援してくれます」

紅白の連続出場が途絶えた小林さんが見つけた“新境地”はインターネットの世界。踏み込む勇気をくれたのも、明男さんだった。

「ニコニコ動画からの出演依頼が来たとき私、躊躇したんです。なにしろ、インターネットといちばん遠い世界で生きてきましたから。そんなとき、主人が教えてくれた言葉に、私はハッとしたんです」

このとき、明男さんが伝えたのが「思い込みを捨て、思いつきを拾う」という言葉だった。

「主人が手掛ける再生医療は、従来の医療の常識との闘いなんだそうです。柔軟にものごとを捉えないことには前に進めない世界。主人に教えられたその言葉を聞いて、私も思ったんです。つまらない思い込みを捨てられたら、新しい自分が見つかるんじゃないかって」

果たして一歩を踏み出した小林さんは「ラスボス」という新しい自分を手に入れた。ボカロ曲を歌い、子どもたちから「サチリン」と呼ばれるようにもなった。最近ではYouTubeで自らのチャンネルを開設し、「YouTuBBA!!(ユーチューババア)」を自称している。

窮地を脱し、前を向いて新境地を切り拓いた背景には、愛する夫の支えがあった。そしてーー。

「私ね、雑草みたいな生命力があるんです。悔しさをバネにできるんです。悔しさほど、すごいエネルギーを与えてくれるもの、ないです。でもそのエネルギーを『もう一度紅白に』なんてことに使う気はありません。目指してるのは、もうそんなところじゃないから」

ちなみに、今年の大晦日、小林さんはどう過ごす予定なのか。

「大晦日? ラスベガスです(笑)」

23年11月に開催したコンサートのステージでは、観客との間にこんなやりとりがあった。

「来年で芸能生活60年。この先、どれぐらい歌っていけるかわかりませんが、せめてあと5年……」

ここで客席から「もっと!」と声が上がる。

「うれしいじゃございませんか、それじゃ、あと10年ーー」

今度は「まだまだ!」の声。

「うわ、うれしい。わかりました、私、決めました。あと50年は歌ってまいります!」 デビュー60周年の節目の年も、歌手・小林幸子は進化を続けていく。

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