全員高偏差値!桐朋、浅野、筑波大附属!進学校を経てJリーガーになったクラブユース出身5選手

文武両道-。学問に優れ、武道やスポーツの技量にも長けている人を指す言葉であり、プロサッカー選手の中でも当てはまる選手が数多くいる。

中でも意外と知られていないクラブユース出身選手だ。選手経歴はクラブユースだけ紹介される場合が多く、進学校に通いながらエリート集団とサッカーに励んでいる選手が少数ながら確認できる。

今回は進学校を経てJリーガーになったクラブユース出身5選手を紹介する。

日本代表にも選出された文武両道

橋本英郎

出身校:大阪府立天王寺

出身クラブユース:ガンバ大阪ユース

入団したJリーグクラブ:ガンバ大阪

ガンバ大阪、ヴィッセル神戸などで中盤の要として活躍した橋本氏は、名門進学校天王寺、大坂市立大と文武両道を体現する生き方をしてきた。2007年に日本代表に選出されて通算15試合に出場した。

大阪の公立進学校天王寺は偏差値70以上の高校であり、2022年度の京都大合格者数が57人と関西でも有数の進学校でもある。OBには元日本代表監督の岡田武史氏や元日本代表で学者の野村正二郎氏を輩出している。

現役引退後はYouTuber、サッカー指導者、解説者、経営者として活躍している橋本氏。ちなみにアカデミーの先輩である日本サッカー協会専務理事の宮本恒靖氏も大阪の進学校生野高を卒業している。

東京の難関私立桐朋出身

渡辺悠雅

出身校:桐朋

出身クラブユース:横河武蔵野

入団したJリーグクラブ:カマタマーレ讃岐

明治大を経てカマタマーレ讃岐で2022年シーズンまでプレーした渡辺も東京の名門進学校の桐朋高出身の選手であり、サッカーは横河武蔵野のアカデミーでプレーしていた。

桐朋高は東京の多摩地区にある中高一貫の私立男子校であり、1980年代では東京大合格者数が60人を超えていた時期も。2022年度は東大11人、一橋大14人合格と現在も名門進学校として著名だ。

明治大では優れた推進力と攻撃参加で存在感を見せてJリーグ入りを果たしたサイドバックは、カマタマーレ讃岐退団後にオーストラリアのブランズウィックSCへ加入した。

東大合格者数40人超えの進学校出身

冨田学

出身校:浅野

出身クラブユース:横浜マリノス(現横浜F・マリノス)ユース

入団したJリーグクラブ:横浜マリノス

横浜マリノスの下部組織出身の冨田氏は、アカデミー時代は天才と称された選手だった。テレビ東京「追跡LIVE! Sports ウォッチャー」では元日本代表の中村俊輔氏が「天才、別格」と称する逸材だった。

冨田氏が通っていた浅野高は神奈川県横浜市に所在する男子中高一貫校であり、2022年度の東京大学合格者数は43人と関東有数の進学校だ。浅野は中学受験でしか入学できないため、サッカーと並行しながら難関試験を突破した冨田氏の学力とサッカーの実力は計り知れない。

横浜Mアカデミーからトップチーム昇格するも、1シーズンで退団。退団後は慶応義塾大ソッカー部でプレーした。

公立の雄と名門ユースの二足の草鞋

西川優大

出身校:埼玉県立浦和

出身クラブユース:浦和ユース

入団したJリーグクラブ:FC岐阜

187センチの高身長ながらオフザボールの動きに秀でた大型ストライカー西川氏は、大学サッカーの名門筑波大を経て岐阜、カターレ富山、栃木SCでプレーした。

西川氏の出身校は公立の雄ともいわれる男子進学校の埼玉県立浦和高出身だ。2022年度の東大合格者数は36人と全国の公立高校では3位に入るほどで、埼玉県内では飛び抜けている。卒業生には横浜FCでプレーした秋葉陽一氏(浦和ユース出身)、元日本サッカー協会会長の犬飼基昭氏、第5代Jリーグチェアマンの村井満氏などを輩出している。

浦和ユース、浦和高をダブル合格した文武両道の西川氏は、高校卒業後は筑波大へ進学。現役引退後はアカデミーで過ごした浦和に指導者として戻り、ハートフルクラブのコーチングスタッフとして小学生を指導している。

国立難関高校、東大、Jリーグへ

添田隆司

出身校:筑波大附属

出身クラブユース:横河武蔵野

入団したJリーグクラブ:藤枝MYFC

日本の最高学府である東京大学を卒業後に藤枝MYFCに入団した添田氏は、正に文武両道を絵に描いたような存在だ。東大出身のJリーガーはファジアーノ岡山に入団した久木田紳吾氏(熊本高出身)と添田氏以外現れていない。

添田氏が卒業した筑波大附属高は東京の国立進学校として有名であり、2022年度の東大合格者数29人を輩出している。著名な卒業生に大日本蹴球協會(日本サッカー協会の前身)創設に尽力した新田純興氏、大日本蹴球協會初代会長の今村次吉氏、元日本代表の春山泰雄氏、村岡博人氏、元日向坂46の影山優佳さんを輩出している。

【インタビュー】“ヴィッセル神戸の未来”筑波大MF山内翔のアカデミー時代、あるサポーターの追憶

藤枝で3シーズンプレーした後に、関西1部アミティエSC京都(現おこしやす京都)で1シーズンプレーした。現役引退後は同クラブの代表取締役社長に就任して経営者として活躍している。

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