新紙幣の顔ととちぎ 北里柴三郎 コッホ夫妻と日光で静養

日光を訪れたコッホ(最前列左から3人目)と北里(同4人目)を歓迎した地元の医師ら

 2024年は、7月3日に新紙幣が発行される。紙幣デザインの刷新は04年以来、約20年ぶり。その“顔”となるのは1万円札が渋沢栄一(しぶさわえいいち)、5千円札が津田梅子(つだうめこ)、千円札が北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)。いずれも近代日本を語る上で欠かせない人物だが、本県とはどのような関わりがあるのか。ゆかりの場所や人物を探して訪ね、3人の足跡をたどった。

 「近代日本医学の父」として知られる北里柴三郎(きたさとしばさぶろう)(1853~1931年)は1908(明治41)年の夏、ドイツ留学時代に師事した細菌学者ロベルト・コッホらと日光へ静養に訪れている。当時の様子を、下野新聞は連日伝えていた。

 紙面によると、コッホ夫妻や北里ら一行を乗せた列車が宇都宮駅に到着すると、歓迎の花火が打ち上がり、県知事らが出迎えた。日光滞在は6月27日~7月1日。北里がコッホ夫妻を日光東照宮へ案内するなどした。

 日光市下鉢石町、高野隆史(こうのたかし)さん(68)は、北里直筆の手紙と写真を保管している。地元の開業医として北里ら一行をもてなした曽祖父健之輔(けんのすけ)さんが残したもの。今から約20年前、自宅の蔵を整理した際に見つけたという。

 手紙は北里が帰京した後にしたため、筆書きで地元医師らの歓待への感謝がつづられている。写真は、日光金谷ホテルとみられる建物の前で撮影され、コッホ夫妻や北里を囲むように、健之輔さんら医師団メンバーが正装で並ぶ。

 「当時の医師たちにとって、医学界の権威である北里らとの出会いは大きな出来事だったのだろう」。高野さんは手紙や写真を手に、思いを巡らせた。

 ■北里柴三郎 江戸時代末期、現在の熊本県小国町で庄屋の家に生まれた。ドイツに留学して破傷風菌の純粋培養技術や、血清を使った治療法を開発するなど近代医学に貢献した。帰国後は結核予防や細菌学研究に取り組み、北里大の前身となる北里研究所を1914(大正3)年に設立した。

北里柴三郎(国立印刷局ホームページから)

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