作風は真逆でも根っこは同じ、任天堂とフロム・ソフトウェアのゲームは古くて新しい【年末年始企画】

■ヒットメーカーとして君臨する任天堂とフロム・ソフトウェア

任天堂とフロム・ソフトウェア。いま日本で勢いがあるゲーム企業を語るうえで、この2社は欠かせない。

任天堂はいまというより昔からだが、今年でいうと「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」(以下、TotK)が約1950万本(8月3日時点)、「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」(以下、マリオ ワンダー)が約430万本(11月3日時点)を売り上げている。

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」
「スーパーマリオブラザーズ ワンダー」

いっぽうのフロム・ソフトウェアは、近年の伸びが著しい。「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」(以下、SEKIRO)が約1,000万本(2023年9月26日時点)、2022年発売の「ELDEN RING」は約2,000万本(2023年2月22日時点)を記録している。今年で言えば、シリーズ10年ぶりの新作となった「ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON」が、国内だけで70万本を売り上げた。

「SEKIRO: SHADOWS DIE TWICE」
「ELDEN RING」
「ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON」

本稿では、そんな任天堂とフロム・ソフトウェアが生み出したタイトルの特徴を比較しながら、両社の傾向や、おもしろいゲームに求められているものなどを書いていきたい。

■ゲームの強みを生かしていくと、環境で語るストーリーになる?

行方不明になったゼルダ姫を追いかけてハイラルを冒険する「TotK」と、エルデの王となるべく狭間の地を行く「ELDEN RING」は、世界観やシステムこそ当然違うが、あまりストーリーを語らないという点では共通している。

これについては「ELDEN RING」のほうがわかりやすいかもしれない。本作には小出しの情報が満載で、入手した装備に書かれたフレーバーテキスト、落ちているアイテムとそれがあった場所、出てくる町やダンジョンの見た目、出てくる敵の装備など、さまざまなところから考察の余地が出てくる。「ELDEN RING」に限らず、こうした作風はフロム・ソフトウェアの作品のなかではお約束であり、同社の作品を熱心に考察することを“フロム脳”と呼ぶくらいだ。

「TotK」にはムービーこそあるが、大部分はオープニングやエンディング、ストーリーを読み解くうえで必要なメインチャレンジ“龍の泪”くらいのもの。その龍の泪をどれほど進めるかはプレイヤーのさじ加減なので、全部見た人もいれば、逆にほとんど見なかった人もいるだろう。龍の泪を最後まで進めなくても、本編をクリアすることは可能だ。

いっぽうで、ハイラルには龍を祭っているような遺跡があったり、地下に行くとゾナニウムを採掘するボコブリンがいたりと、過去の人々の生活や敵の行動の理由が考察できるような描写が多い。これは前作の「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」にもあって、同作では敵のガーディアンの残骸やその位置から、100年前に起こった戦いの一部が読み取れるようにもなっていた。

「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」

ゲームをゲームたらしめるものはなにかと考えたとき、筆者がまず思い浮かんだのはコントローラーの存在だ。文字を読む、映像を見る、観客席から応援する、世間にはほかにも楽で楽しい娯楽が溢れている。にも関わらず、ビデオゲームという分野で人がわざわざコントローラーを握るのは、自分の手で作品を動かすことこそが、自分だけの体験につながるからだろう。コントローラーを動かす必要のないゲームは、本や映画と変わらない。

コントローラーを操作することで生まれるプレイ体験を重視するのなら、ムービーを始めとするプレイヤーの手が届かない要素は自然と削られるだろう。そして、なるべくプレイヤーがテンポを崩さずにストーリーの理解を深められるよう、目に映るもの、拾ったものに情報を散りばめていく。それこそ、フレーバーテキストや、敵の残骸、落ちているアイテムの位置や中身といったものだ。

少なくとも任天堂やフロム・ソフトウェアが生み出してきた作品の多くは、いずれも遊んでこそ楽しい作品だった。コントローラーを手に取ってよかった、そう思えるものばかりだ。フォトリアルな画質に、細かく表現されたキャラクターモデルなど、最近ではリアルで大規模なゲームが作られるのも珍しくないが、両社はプレイ体験を重視するという姿勢はずっと変わらない。間接的な手法で物語を表現するのは、ゲームの強みを生かそうとするといずれたどり着く境地なのだろうか。

■流行をけん引し、そして問い直す姿勢

2Dの横スクロールアクションといえば、左右の移動とジャンプだけでアクションを表現した任天堂の「スーパーマリオブラザーズ」で、フロム・ソフトウェアが生み出した「デモンズソウル」や「ダークソウル」は、現在まで続く“死にゲー”ブームの火つけ役と言っていい存在だ。だが、自分たちが確立、盛り上げたジャンルに対して一石を投じるような作品を、両社は生み出している。

任天堂で言えば「マリオ ワンダー」だろう。本作は「スーパーマリオブラザーズ」シリーズ約11年ぶりの新作だ。2Dスクロールのアクションという、いまでは古典的とすら言えるジャンルではあるが、同作では新アイテムの“ワンダー”を取ることでコースのギミックが大きく変化。土管が芋虫のように動く、ゴールポストを吹っ飛ばして先に進むなど、プレイヤーの予想を超えるような仕掛けがたっぷり詰め込まれていた。数え切れないほどゲームで題材になってきた2D横スクロールに、まだ伸びしろがあるのかと思った。開発スタッフの世代が変わったのかとも思ったが、任天堂のサイトにある“開発者に訊きました”によれば、2Dの「マリオ」の開発に携わって39年の方もいるらしい。

フロム・ソフトウェアなら「SEKIRO」が挙げられる。本作はゲームオーバーが前提ともいえる高難度のゲームで、いわば“死にゲー”と呼ばれる類だが、この手の作品でありがちな敵の動きを見てから対処するという後手に回る戦法だけでなく、自分から進んで攻撃するという立ち回りも求められる。いわば攻める死にゲーとも言える代物だった。個人的な話だが、東京ゲームショウで「SEKIRO」の試遊をした際、それまで「ダークソウル」シリーズの立ち回りが染みついていた筆者は後手に回り続けた結果、“忍殺”という必殺の一撃を放つために必要な“体幹ゲージ”を一向に溜められず、ろくに決定打を与えることもなくボスにやられたのをよく覚えている。

任天堂なら2Dの「マリオ」、フロム・ソフトウェアなら死にゲーと、両社にはそれぞれ代名詞とも言える作品や作風があるものの、長く続いてきたものに対して妥協せず、新しい仕組みを試す姿勢も同時に持ち合わせている。会社は違っても、彼らは職人の集団と言える存在なのかもしれない。

■力があっても主張しない、プロの職人集団

今回は任天堂とフロム・ソフトウェアを比べてみたが、こうしてみると両社の作品は、作風こそ違うが中身はよく似ている。遊ぶ人たちのプレイ体験を重視し、システムやアイデアで以ってゲームを作っている。

ただ、そうした姿勢が斬新だとは思わない。システムやアイデアが良いゲームこそおもしろいと言うのは、ごく当たり前のことだからだ。肝心なのは、世界でも有数の技術やセンスを持っておきながら、遊んでおもしろいという王道を守り続けている点にある。プレイ体験をプレイヤーに届けることを第一に考えているので、彼らは技術や思想を主張しないのだ。

物書きを始めてしばらくは、筆者はなにかにつけて言葉で威張ろうとした。“メトロイドヴァニア”だの“ソウルライク”だの、ゲーム好きの内輪にしか通じないような専門用語を並べ立てれば、自分がこれまでライターとして培ってきた知識や技術を自慢できると思ったからだ。そんな文章を読むのは他人かすれば苦痛だし、自分でも痛々しいとわかってからはすっかりなりを潜めたが、腕を磨くうえで買った資料や文献は、いまでもよく確認している。そうでもしないと、調子に乗った自分がまた出てくるかもしれない。

そうした個人的な背景もあって、任天堂やフロム・ソフトウェアの弛まぬ姿勢はすばらしいと言える。個人でも難しいのだから、組織でプロ意識を維持するのは大抵の努力では不可能だろう。これからも、王道を行きながらも新しい試みを欠かさない、そんなものづくりを追求して欲しいと思う。

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