<1>期待の若手社員、かつては息潜めるような生活 「普通じゃない」も諦めた日々 希望って何ですか

かつて通った、困窮する家庭の子どもや親を支援する居場所へと続く道を歩く一生さん。当時の思いを語り始めた=2023年12月上旬、日光市内

 昼食を共にしようと待ち合わせた日光市内のファミレスに、青年が姿を見せた。秋だとはまだピンと来ないほど暖かい昨年10月中旬。

 「仕事は楽しいというか、楽しくなるようにしてますよ」

 夜勤明けで眠い目をこすりながら、近況について話し始めた。

 一生(かずき)さん、25歳。県北にある食品製造販売会社の工場で、原料供給の現場を任されている。県立高校を卒業し、就職して7年目。昨年係長に昇進した期待の若手社員だ。

 中学生だった10年前に、子どもの貧困の実相を追った連載「希望って何ですか」に匿名で登場してもらった。以来、節目節目での交流が続いている。

 現在は会社からほど近い場所にあるアパートに一人で暮らす一生さん。「彼女はできた?」と問うと、「今は仕事が恋人。というか仕事だらけです」と目尻を下げ、いたずらっぽい笑みで返してきた。人懐っこい柔和な雰囲気は、初めて会った頃から変わらない。

 でも、中学1年生の春まで、一生さんの暮らしはとても苦しいものだった。現在の暮らしぶりなど全く想像できないくらいに。

 「水道とガスが止まることが一番つらかった。トイレ、風呂が使えない。洗濯もできないから」

 小、中学生当時、母親、兄、妹と県北のアパートで暮らしていた一生さんが振り返る。

 一家は生活保護を受給して生活していたが、母親は金銭管理と片付けが苦手。月十数万円の保護費は、滞納した家賃の支払いなどですぐに消え、光熱費にまで回らなかった。

    ◇  ◇

 玄関の扉を開けると、脱ぎ捨てられた衣服が山積みされ床が見えない。靴を履いたまま、奥にある居間まで進んだ。

 毎日同じ服を学校に着てはいけない。かといって、洗濯された服があるわけでもない。

 小学生の頃は、いつ洗濯されたのか覚えのない服に幾度となく袖を通すと、「大丈夫かな?」と臭いを嗅いでから、恐る恐る家を出た。

 食事は学校給食と、午後10時くらいに帰宅する母親が買ってきたコンビニ弁当。学校のない土日は夜1食だけ。夏休みや冬休みになると、つらさが増した。

 中学校に入ると、登校班になじめない5歳年下の妹を小学校に送り届けてから、自宅を挟み反対方向にある中学校まで延べ30分以上かけて通った。「面倒くさい」という考えが頭をよぎりながらも、給食を楽しみにしていたから学校は休まなかった。

 衣食住すらままならない暮らし。でも、「友達から何か言われたことはない」という。それは「今思えば、周りに知られたくなくて無意識にそう振る舞っていた」から。

 明るくしてはいたが、どこか、息を潜めるように生きていた。

    ◇  ◇

 子どもながらに「普通じゃないんじゃないか」と感じていた一生さん。一方で、「うちはうち」と諦めていた。

 「当たり前じゃない」と気が付いたのは中学1年生の時。日光市内のNPO法人「だいじょうぶ」代表の畠山由美(はたけやまゆみ)さん(62)に出会ってから。

 畠山さんは、一生さんや妹をはじめ母親にも寄り添い、ずっと支援してくれた。

 一生さんは感謝を込めてこう話す。

 「自分も、母親のことも変えてくれた。人生を変えてくれたのかもしれない」

    ◆  ◆

 私たち大人とは違い、子どもの10年間は過ごし方によって未来を劇的に変える。「将来が生まれ育った環境によって左右されることのないよう、健やかに育成される環境を整備する」ことなどを目的とした子どもの貧困対策推進法施行から10年。子ども期に支援者と出会い、大人になった若者の姿を通じ、育ちを支える意味と課題をあらためて考える。

かつての自宅前にある公園を訪れた一生さん。支援者の畠山さんとの出会いは、「人生を変えてくれたのかもしれない」=2023年12月上旬

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