【早出し】能登半島地震・県内影響、続く不安 

津波避難ビルの山新放送庄内会館では、避難してきた住民が4階窓から港の様子を心配そうに見ていた=1日午後4時36分、酒田市山居町1丁目

 元日の夕方に発生した地震は、正月を古里で過ごす人を含め、本県に大きな影響を及ぼした。人的被害はなかったものの、本県に約40年ぶりとなる津波警報が出され、鶴岡、酒田、遊佐の沿岸3市町で最大5103人が避難し、不安な夜を過ごした。鉄道や道路は安全が確認できるまで利用できなくなり、一夜明けた2日も、庄内地域から首都圏に戻るUターン客などが影響を受けた。

住民や帰省客、高台へ

 鶴岡市では3923世帯9204人に避難指示が出され、最大約2440人、酒田市では1万2336世帯2万6966人の対象のうち、最大2303人が避難した。遊佐町では244世帯572人に避難指示を出し、約360人が避難所に身を寄せた。

 観測史上最大となる40センチの津波が観測された酒田市の飛島では、高台のグラウンドにある小屋に約80人が避難した。島民のほとんどが高齢者で、酒田署飛島駐在所の警察官がパトカーに乗せて送迎するなどした。

 海沿いに集落が広がる鶴岡市早田地区では、最大約280人が高台の施設などに避難した。本間治義自治会長は「帰省者もいたが迅速に避難できた」と話した。同市の沿岸部にある温泉地の旅館では、宿泊客を垂直避難させるなどの対応に追われた。宿泊のキャンセルが相次いだ施設もあった。同市立加茂水族館では利用客を館内の安全な場所にとどまらせた。

 津波避難ビルとなっている酒田市山居町1丁目の山新放送庄内会館には、最大約70人の近隣住民が身を寄せた。近くの無職田中敦子さん(62)は、金沢市から帰省していた息子の家族と避難。「初めて孫が訪れた正月だったのに…」とため息交じりに語った。

83年以来の津波警報-飛島、過去最大40センチ

 今回、本県沿岸で観測された津波は、酒田市の飛島では観測史上最も大きい40センチ、同市の酒田港では1983(昭和58)年の日本海中部地震で観測し、本県最大の82センチに迫る80センチだった。本県への津波警報は83年6月21日の青森県西方沖地震以来。飛島では検潮所を設置した1995年3月以降、2010年2月27日に南米チリ中部で発生したチリ大地震の翌28日に観測した5センチが最大だった。

羽越本線が運休、Uターン足止め

 本県から新潟方面へ向かうJR羽越本線は2日夕方まで運休し、年末年始を庄内地域で過ごした人のUターンに影響が及んだ。

 JR酒田駅は払い戻し手続きなどで混み合った。東京方面に戻る予定だった50代女性は列車をあきらめ、夫に車で迎えに来てもらうことにしたといい「運転を交代しながら帰る」と語った。新庄駅など、内陸部経由で東京方面を目指す人も見られた。鶴岡市を訪れていた調理師斎藤睦晃さん(40)は「新潟経由で帰る予定を変更し、在来線で仙台経由にした」と語った。

 鶴岡駅では横浜市の教員渡辺大地さん(32)が「妻の実家が鶴岡で、新潟経由で戻るつもりだったが、義父から新庄まで車で送ってもらう」。同駅では1日夜、新潟行きの観光列車「海里」が足止めされた。

 庄内地域から山形駅経由で首都圏を目指す人もいた。東京から旅行で鶴岡市を訪れていた60代の夫婦は「山形新幹線は全て満席だった。立席特急券が残っていればいいが、無理なら仙台経由で帰る」と話した。

空路や道路も乱れる

 日本海側を通るJRの羽越本線は、1日の地震発生後、終日県内での運転を取りやめ、特急いなほ上下6本などが運休や区間運休した。2日は正午ごろから順次運転を再開し、新潟―秋田間で特急いなほ上下10本や、普通列車が運休や区間運休し、最大2時間56分遅れた。奥羽本線は地震発生直後から運転を見合わせ、山形新幹線つばさや普通列車の運行が遅れた。フラワー長井線でも1日に運休や区間運休が発生した。

 空の便では、庄内空港発着の羽田便が1、2の両日計4便が欠航した。

 国道7号は発生直後から鶴岡市鼠ケ関―同市中清水、酒田市上安町―遊佐町比子が全面通行止めとなり、日本海東北自動車道は鶴岡西インターチェンジ(IC)―あつみ温泉ICの上り線が通行止めになった。道路は全て2日午前3時半に規制が解除された。

飛島山グラウンド内の小屋に避難する飛島の住民(飛島診療所提供)

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