[社説]日航・海保機衝突 考えられない事故なぜ

 羽田空港の滑走路で2日夕、日本航空のエアバス機と、海上保安庁の航空機が衝突し炎上した。

 日航機の乗客乗員379人の命に別条はなかったものの、15人が体調不良で医療機関を受診した。煙と熱気が立ちこめる機内から全員が脱出できたことはせめてもの救いだ。

 海保機は乗員5人が死亡し、機長が重傷を負った。能登半島地震への支援物資を搬送する予定だった。何ともやるせない事故だ。

 多くの航空機が行き交う滑走路では、通行が厳しくコントロールされている。そうした中で、なぜ両機が同じタイミングで同じ滑走路にいたのか。

 警視庁は業務上過失致死傷容疑を視野に捜査。国土交通省の運輸安全委員会も調査官を派遣している。

 滑走路への進入については国交省航空局の航空管制官が指示を出し、パイロットは指示の内容を復唱して従う。

 日航側は「管制からの着陸許可を復唱した後、着陸操作をした」とし問題はなかったとの認識だ。

 これに対し国交省は3日、管制官と海保機の交信記録を公表した。それによると、海保機に対して滑走路への進入指示は出ていなかったことが判明した。

 一方、海保の機長は管制からの指示に従ったとしており、両者の言い分は食い違っている。

 ヒューマンエラーにより事故が起きた可能性がある。前代未聞の事態はなぜ起きたのか。詳細な原因分析を急いでほしい。

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 事故が起きたのは日没後だった。滑走路上で機体が炎を吹き上げる様子は、事故を目撃した大勢の人々に不安と衝撃を与えた。

 日航機の乗客によると、着陸後「ボン」という音と突き上げるような衝撃を感じたという。

 乗客が撮影した動画からは煙が充満し、暗い機内の中で子どもが泣き叫ぶ声が聞こえ、混乱している様子が伝わった。

 しかし、乗員の的確な避難誘導と、さらに乗客が互いに助け合いながら素早く脱出シューターから避難し犠牲を避けることができたという。海外メディアは「お手本のような対応」と称賛している。

 普段の脱出訓練が生きた。 一方で海保側には死者が出ており、事故が起きたことについては重く受け止める必要がある。

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 1977年にはカナリア諸島の空港で濃霧の中、離陸しようとしたジャンボ機2機が滑走路で衝突し、双方合わせて583人が死亡する事故が起きた。

 一方のパイロットが管制官の指示を正確に聞き取れず、もう一方は滑走路を離れるのが遅れたことが原因とされている。

 今回は迅速な避難誘導により日航機側は全員無事だったが、もし衝突の直後に大きな爆発が起きていたら犠牲はさらに増えた可能性がある。

 二度と同じような事故が起きないよう効果的な再発防止策を講じるべきだ。

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