冷えゆく父の手 がれきの下、無力 

倒壊した家屋に閉じ込められた父親を心配する家族=2日午後2時、輪島市河井町

 がれきと化した家の下に、大切な父が、妻がいる。でも、何もできない。「全然、救助が来ん」。地震被害の大きかった輪島市中心部を歩いて見えたのは、変わり果てた町の光景と、愛する家族を突然奪われ、涙も出ずにうつろな表情を浮かべる人々だった。現実を受け入れられず、ぼうぜんと立ち尽くすその姿に、取材するわれわれも言葉を失った。(編集委員・坂内良明、政治部・中出一嗣)

  ●救助到着に丸一日 輪島・河井町

 2日午後、輪島市河井町の全壊の住宅で、警察救助隊の作業が進む。実家に帰省中の竹本雪枝さん(51)=金沢市=が成り行きを見守っていた。

 1日、大地震が起きた時、竹本さんと夫、娘、父の谷内良正さん(88)が実家の居間にいた。経験したことのない揺れだった。「どうしよう」と慌てふためく間に、2階が落ちてきた。4人は生き埋めになった。

 たまたま中庭近くにいた竹本さんら3人は、なんとか屋外へ脱け出した。外へ出たとたん「津波だ、逃げろ」と叫び声が聞こえた。足腰が弱く、逃げ遅れた父が心配だったが、はだしのまま3人は高台を目指した。

 大津波の危険が去った夜、実家へ駆け戻ると、がれきの下に父の顔が見えた。「じいちゃん」と呼び掛けると、良正さんは「おお」と答えた。だが自力でがれきをどかすのは到底不可能だった。救助を求める電話は通じず、声はしだいに弱まって、やがて握る手が冷たくなった。

 2日も朝からSOSを発し、ようやく午後、愛知県警の部隊が到着した。救助作業中、取材に気丈に答えてくれた竹本さんだが、時折地べたに座り込み、放心したような表情を見せた。

 亡き父が搬出されたのは、地震発生からほぼ丸一日たった午後3時。場違いなほど、青く穏やかな空の下、亡きがらは、竹本さんが言葉をかける暇もなく、すぐさま遺体安置所へ運ばれていった。

  ●「目の前におるのに」 輪島・鳳至町

 「妻が下敷きになっとる」。2日正午すぎ、鳳至町上町では、森下政則さん(84)が1階がぺしゃんこになった自宅の前で、ぼんやりと立っていた。

 地震発生時、森下さんは1階の居間、妻の輝子さん(80)は隣の台所で夕飯の支度をしていた。自身も右足が挟まれて身動きができなくなり、約4時間後にはい出したという。

 自衛隊が到着し、捜索が始まった。森下さんも2階の窓から家に入り、隊員と一緒に何度も「聞こえるか」と声を振り絞った。返事はない。約30分後、天井に上半身が挟まれ、横たわるエプロン姿の女性が見つかった。

 人力では持ち上げられず、レスキュー隊の到着を待つことに。しかし1時間過ぎても来ず、森下さんがあらためて119番通報すると「救助要請が多すぎて、呼び掛けに応じる人から優先して対応しています。ご理解ください」と電話は切れた。

 「手の届く、目の前におるのに、どうしてやることもできん」。目を真っ赤にし、森下さんは痛めた足を引きずりながら避難所に向かった。

 古い木造家屋が多い鳳至町では住宅の全壊が相次いだ。避難所の鳳至小体育館に身を寄せた40代女性は「逃げる際に助けを求められたが、何もできなかった。申し訳なくて、申し訳なくて」と涙を流した。

 鳳至町の奥津比咩神社では、土砂崩れで倒れた鳥居に上半身がつぶされ亡くなった人が横たわっていた。性別も年代も分からない。ただ手を合わせることしかできなかった。

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 「令和6年能登半島地震」で大きな被害を受けた能登地区を中心とする被災地を「連載ルポ」として本社記者が継続的に取材し、現地の状況を伝えます。石川県に根を張る地元紙として、地域住民の皆さんに寄り添う報道を続けます。

鳥居の下敷きになり亡くなった遺体に手を合わせる災害ボランティアと自衛隊員=2日午後3時半、輪島市鳳至町鳳至

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