<2>支援者とつながり生活改善 支援拒んだ母親にも変化の兆し 希望って何ですか

久しぶりに居場所「ひだまり」で夕食を食べた後、記者とともに帰路に就く一生さん(左)=2023年12月8日夜、日光市内

 喉が渇けば、近くにある公園の水道で潤した。夜、外のトイレで恐る恐る用を足したこともある。

 支払いが滞り、水道をはじめとしたライフラインが止められ、衣食住がままならない暮らしを送っていた一生(かずき)さん(25)。転機となったのは日光市内のNPO法人代表の支援者、畠山由美(はたけやまゆみ)さん(62)との出会い。

 中学1年生だった2011年春の日のことを、一生さんははっきりと覚えている。

 「たこ焼きパーティーですよね。いたのはオレと妹と、畠山さんたちスタッフだけ。楽しかった。おなかいっぱいになった」

    ◇  ◇

 畠山さんは一生さんたちの窮状を知り、母親に支援を申し出ていたが、拒まれ、避けられていた。

 一生さんたちと会えずにいた畠山さんが、「家の中に入れないのなら、来てもらおう」と考えを巡らせて開いたのがこのパーティー。会場は、一生さんたちを支えるために畠山さんが同市内につくった母子の居場所「your placeひだまり」。一生さんにとって「第二の家」となる場所だ。

 パーティーを終えて家に帰った一生さん。楽しかったこと、「また行きたい」と思っていることを母親に伝えた。母親は「渋々許してくれた」という。

 快く送り出してくれない母親について、当時の一生さんは「過度な心配性」と捉えていた。

 母親は、外で遊んでいた一生さんの帰りが遅くなれば叱り、学校でトラブルがあれば、時に学校に対しても強く意見を言った。

 「よく言えば子ども思いなのかな。うるさいなと思うことはあったけど、嫌ではなかった。自分のことを思って言ってくれているのが分かったから」

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 畠山さんとのつながりができた一生さんたちはほどなく、学校が終わると毎日、「ひだまり」に通うようになった。

 宿題をやり、遊び、おなかいっぱい夕飯を食べ、風呂に入る。洗濯された服を着て、着替えも持って家に帰るようになった。

 遅れていた勉強も少しずつできるようになり、一生さんに自信も芽生えてきた。変わる子どもの様子を目の当たりにした母親にも、少しずつ変化が見え始めた。

 一生さんが想像を巡らせる。

 「畠山さんに会うまでの母親には余裕がなかったんだと思う。お金がないのはもちろん、心にも」

 経済的な困窮に端を発して精神的にも追い込まれていた母親は、畠山さんたちに次第に心を許すようになっていった。

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