宮城・塩釜の藤橋さん、実家の古い「日記」翻訳本に 仙台で身を立てた、村山出身商人の旅

「江戸時代の商人の旅を山形の人にも知ってほしい」と話す藤橋経雄さん=宮城県塩釜市

 江戸時代後期に現在の村山市楯岡に生まれ、仙台城下の店で取締役を務めた商人の旅日記を翻訳した「藤橋大治郎旅日記」が出来上がった。6代目次男に当たる宮城県塩釜市の藤橋経雄さん(89)が実家で原本を見つけ、同市のNPOが解読を手がけた。仙台から讃岐国(香川県)の金比羅山まで往復2千キロ以上を3カ月かけて踏破した道中記だ。藤橋さんは「190年も昔の旅行記を読めて先祖に近づくことができた」と目を細める。

 大治郎は1799(寛政11)年生まれ、14歳の時に近江商人小谷屋の仙台店に入った。小僧から番頭、支配を経て30歳で取締に。旅に出たのは翌年で、長年の奉公に対する褒美とみられるという。翻訳本を監修した東北学院大(仙台市)の斎藤善之教授によると、宿場や伝馬の制度ができ、旅の条件は整っていたが、参勤交代などのためのもので、庶民の利用は想定されていなかった時代だ。

 近江国(滋賀県)の小谷屋本家への取締就任あいさつ、各地の取引先への顔見せも兼ねていたが、神社仏閣に参詣し、名所旧跡の観光を楽しんだ。土地の名物に舌鼓を打ち、一杯やりながらのグルメ旅で、色町の様子を記した箇所も。江戸、伊勢、奈良を経て四国まで足を延ばし、行きは中山道、帰りは東海道とルートを替えた。

 経雄さんが実家の蔵に眠る旅日記「道中諸用控」を見つけたのは30年ほど前。父孝三郎さんが生前、大治郎の一代記をまとめており、仙台で身を立てた先祖に興味を抱いていた。しかし、道中諸用控は難解で読み解けないまま時が過ぎ、自分も所属する「NPOみなとしほがま」古文書部会に提供することに。斎藤教授の指導を受け、約1年かけて解読に成功し、現代語訳本の発行にこぎ着けた。

 大治郎はその後、仙台と楯岡を行きつ戻りつしながら商売を続け、1869(明治2)年に享年71歳で亡くなった。大治郎は、ほかにも上方の道中記を残しているが、初めての旅だった今回翻訳したものの方が内容が細かく面白いという。

 経雄さんに最も興味深かったシーンを聞くと、京都・宇治の老舗茶舗の訪問を挙げた。この会社は近頃、飲料メーカーと組んだヒット商品で脚光を浴びており「ほら、お茶で当時と現代がつながった」と笑った。2200円。蕃山房のホームページで購入できる。

「道中諸用控」の原本

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