全集刊行、お値段は27万5千円! 日本が生んだ大数学者・関孝和、その業績を紐解いてみた

岩波書店から刊行された関孝和全集

 300年以上前の江戸に生まれ、欧州の専門家にも先んじて数々の数学上の発見を成し遂げた大数学者がいた。和算の開祖・関孝和だ。その業績をもれなく収録した全集が2023年秋、岩波書店から刊行された。全3巻、4064ページで27万5千円という破格のスケール。同書店担当者は「個人が購入するというより、研究機関や図書館に置いてもらうことを想定している」と話す。古い時代の数学者だが、ものの見方や考え方において現代人が学ぶべき点が多いという。(共同通信=浅見英一)

 ▽より高くから俯瞰する関孝和の数学

 日本では戦国時代末期から江戸時代にかけ、数学ブームが巻き起こった。数学の問題集が出回り、難しい問題を解く力を競う試合などもあり、数学力を鍛える学校もあったという。問題は、ある特定の形、大きさの直角三角形に内接する円の半径を求めさせる簡単なものから、かなり高度な幾何学の知識を要するものもあった。ただし、この時代の数学は出された具体的な問題を解くことに重きがおかれていた。だが孝和は具体的な問題よりも、抽象的、より一般的な数学上の法則を見つけることに力を注いでおり、突出したレベルにいたという。
 四日市大関孝和数学研究所(三重県)の上野健爾所長は「現代の日本の数学教育も目の前の具体的な問題を解くことに重点が置かれている。より高くから俯瞰する孝和の数学を学ぶ意義は今こそ大きい」と話す。

四日市大関孝和数学研究所の上野健爾所長=2023年10月、東京都内

 ▽仕事の合間に数学を研究

 原著は漢文で書かれているが、全集は現代の言葉や、中学や高校で学ぶ英数字や記号を使った数式に置き換えているので、抵抗なく読める。
 17世紀後半、江戸詰の甲府藩士だった孝和は、藩主・徳川綱豊(家宣)が6代将軍となったため幕臣となり、勘定方を務めた。同僚には新井白石がいる。数学研究は仕事の合間にやっていたらしい。「発微算法」「括要算法」などの著作が知られる。
 上野さんらは、全国の大学や研究機関などで保管される手書きで書き写された500冊近くを調査。その結果、孝和自筆の書は一つもないことが分かった。
 孝和の書とされていたものの中にも、信ぴょう性が怪しいものや後世に捏造された疑いがあるものが見つかった。書き写しの際の間違いや、意図的な改変もあり、同じ書名の本でも微妙に文言が違うケースがあった。

関孝和の著作「括要算法」の1ページ(佐藤賢一・電気通信大教授提供)

 ▽実は少ない孝和自筆の書、なぜ?

 書物の本来の姿を確定させる「校合」という作業などに10年を要した。上野さんは「孝和自身が書いたものは実は少なく、ソクラテスがプラトンにしたように、多くは口伝で弟子に教えを説いたのかもしれない」と想像している。
 孝和の偉業はこんな感じだ。自然数を順番に1+2+3+…+nと足していくとする。現代の数学では、結果はnを使った数式で表現できる。おのおのを2乗して足した場合や、3乗して足した数も同様に表すことが可能だ。
 孝和はさらに一般化を進め、自然数をk乗して足した場合の表記方法を考え、特殊な数が必要となることを見いだした。スイスの数学者ヤコブ・ベルヌーイが17~18世紀に発見した「ベルヌーイ数」だ。孝和はそれよりも早く発見していた可能性がある。

 ▽欧州より200年早く発見

 また孝和は円周率を小数点以下12桁まで明らかにした。直径1の円に内接する正四角形や正八角形を考えると、角の数を増やしていくほど各辺の合計の長さは円周に近づく。
 孝和は正13万1072角形の辺の長さを自分で計算した上で、無限に続く辺の長さの計算がどんな値に収束するか、精密に得る方法を発見した。これは、欧州では19世紀に見つかった「エイトケンデルタ2乗法」に相当する。孝和は200年ほど先んじていたことになる。

 ▽取材を終えて

 これまで数学的な思考とは、私たちが今使っているような表記(アラビア数字や記号などの西洋式の表記)があればこそ発展できたのだと、なぜか思い込んでいました。しかしそのような表記法とはまったく独立した記号を作り数学的な考察を深め、西洋と遜色のない成果を上げた先人がいました。率直に感動を覚えました。幕末の日本が、西洋の科学をいち早く吸収できたのも、孝和の和算があったおかげだという話も聞いたことがあります。数学は普遍的な言葉なのだという認識を新たにしました。

© 一般社団法人共同通信社