映画評論家・ミルクマン斉藤さんが肝腎不全で逝去、享年60歳

その類い稀なる知識と洞察力、切れ味鋭い書評で数々の映画メディアに寄稿。サブカルチャー界きっての知識人として活躍した評論家・ミルクマン斉藤(本名:斉藤和寛)さんが1月2日、肝腎不全により逝去。享年60歳だった。

映画評論家・ミルクマン斉藤さん(写真/木村正史)

1963年生まれ・京都市出身のミルクマンさんは、広告代理店に勤める傍ら、映画評論をスタート。膨大な映画知識と見識から売れっ子評論家となり、同時に、秘蔵のVHSコレクションを活かし、伊藤弘さんとVJチームを結成。VJの先駆者として注目を集め、ピチカート・ファイヴの小西康陽が自らのライブVJに抜擢するなど、渋谷系ムーブメントのど真ん中で90年代を過ごした(このあたりのエピソードは、小西氏の「映画メモ」、FPM田中氏のFacebookに詳細が記されています)。

また、ライターとしても関西の情報誌『ミーツ・リージョナル』や、カルチャー雑誌『relax』『TV Bros.』などで執筆。ニュースサイト『Lmaga.jp』での映画人インタビューやUE神とのライブ配信、映画イベントにおけるトークショー、映画パンフレットの監修やコメント寄稿、さらには、京都・三三屋でトークライブ『ミルクマン斉藤のすごい映画めんどくさい映画』を定期的に開催するなど、サブカルチャー界では無くてはならない存在となった。

映画と音楽、文学をこよなく愛し、お酒を酌み交わしながら語るのが大好きだったミルクマンさん。近年は体調を崩しがちで、療養しながら仕事を続けてきたが、2023年12月29日に入院。そのわずか4日後、新年1月2日に帰らぬ人となった。この訃報はSNSで拡散され、映画監督、俳優らが続々と追悼のコメントを投稿した(下記は一部抜粋)。

【行定勲監督】
「信じられないです。夏に話したときは元気だったのに。菊池映画祭で、めちゃくちゃ映画を語って頂き、イベント終わってあとも、朝まで露天風呂で話してたの、楽しかったです。今年は真夜中な映画祭、復活させたかったのに…出来ないじゃないですか。ミルクマン斉藤さんのご冥福をお祈りします」

【犬童一心監督】
「ご冥福をお祈り致します。変わった、危うい作品を作ると、現れて声を大きく支えていただきました。ありがとうございました」

【劇作家&演出家ケラリーノ・サンドロヴィッチ】
「かつて、あまり書いてくれる人のいない俺の映像仕事を評価し、積極的に書いてくれた稀有な方でした。体調が思わしくないとは伺っていたけど‥‥同い年かよ‥‥寂し。どうぞゆっくり。またお会いしましょう」

【石橋義正監督】
「突然の訃報、とてもショックです。信じられない気持ちですが、ご冥福をお祈りします」

【穐山茉由監督】
「くまもと映画祭で『月極オトコトモダチ』をとても褒めてくださり、パンフレットにも作品評を書いていただきました。その後も気にかけてくださり、励まされました。本当にありがとうございました」

【古厩智之監督】
「久々の映画のとき。ミルクマン斉藤さんのインタビューはこちらの記憶を掘り起こされつつ楽しく。新作でも会いたかったのに‥」

【夏都愛未監督】
「ミルクマン斉藤さん、本当にありがとうございました。拙作をすごく褒めてくださって、どんなに大変な時も、ミルクマンさんの書いてくださった映画評に心から励まされました。どれだけ救われたことか…。いつかまた新しい映画も観ていただきたかったです。ご冥福をお祈りいたします」

【女優・石川瑠華】
「くまもと復興映画祭の夜、一晩中変わらぬ熱量で楽しそうに映画の話をしていたミルクマンさんが強く記憶に残っています。わたしもすごく楽しい夜だった。心からご冥福をお祈りいたします」

【女優・桜まゆみ】
「身内以外(直接出会った方々、お仕事をした方々)で初めて名前を挙げて下さった方。その時の言葉が本当に嬉しくて、悔しい思いをする時も、背中を押してもらいました。今後も素敵な作品の中に生きている私を観て貰いたいって気持ちで頑張ってきました。ミルクマン斉藤さん、ご冥福をお祈り致します」

1月3・4日、知人、友人との最後のお別れが大阪市東淀川区の会館にておこなわれた。また本人の希望により、葬儀はおこなわれず、後日お別れ会が実施されるという。

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