近江高校が初の選手権ベスト4!滋賀県出身のプロサッカー選手「最強の5人」

高校サッカー選手権の準々決勝、近江は優勝候補・神村学園と4-3の激闘を制し、初の準決勝進出を決めた。

同校はここ4年で3回選手権に出場しているが、滋賀県と言えば野洲(2005年度優勝)や草津東(2000年度準優勝)、守山北といった強豪校のイメージも強い。

そこで、近江が堀越と国立競技場で対戦する6日の準決勝を前に、滋賀県出身のサッカー選手で「最強の5人」を紹介する。

井原正巳

1967年9月18日生まれ

甲賀郡水口町(現在の甲賀市)出身で、滋賀県出身初のワールドカップメンバーとなった「アジアの壁」。

県立守山高校から筑波大学へ進学し、大学2年次には早くも日本代表へ招集。1990年に加入した日産自動車でもすぐさま重要な存在となり、横浜マリノスの中心選手として1993年のJリーグ開幕を迎えた。

J初年度から5年連続でベストイレブンに選出されると、日本代表でもキャプテンとして1998年に歴史的なワールドカップ初出場を達成。日本代表通算122試合出場は、遠藤保仁、長友佑都、吉田麻也に次ぐ歴代4位の記録だ。

2002年に浦和レッズで引退した後は指導者となり、現在は柏レイソルの監督を務める。

中田浩二

1979年7月9日生まれ

帝京高校のイメージが強い中田浩二だが、出身は滋賀県滋賀郡志賀町(現在の大津市)。

選手権での活躍を経て、1998年に小笠原満男、本山雅志、曽ヶ端準らとともに鹿島アントラーズへ加入。当時珍しかった大型ボランチとして3年目には主力に成長した。

日本代表では当時のフィリップ・トルシエ監督のもとDFラインで起用されることが多く、念願の欧州移籍を果たしたマルセイユやバーゼルでもそれは変わらなかった。

2008年夏に鹿島へ復帰。2014年に現役を引退し、現在は鹿島のクラブ・リレーションズ・オフィサー(C.R.O)や解説者として活躍している。

乾貴士

1988年6月2日生まれ

近江八幡市出身の乾貴士は滋賀県出身のサッカー選手としてよく知られた一人だろう。それほど彼の名前が認知された野洲高校のサッカーは鮮烈だった。

2005年度の選手権を席巻した「セクシーフットボール」。足もとの圧倒的な技術を武器に、決勝で鹿児島実業を翻弄した決勝弾は今でも高校サッカーの伝説だ。

当時2年生だった乾は、2007年に横浜F・マリノスでプロ入り。翌年移籍したセレッソ大阪で大ブレイクし、その後ドイツやスペインでも偉大な足跡を残してみせた。

2021年にJリーグ復帰を果たし、2022年から清水エスパルスでプレー。1年でのJ1復帰を逃した今季も清水と契約を延長したことが発表されている。

奥川雅也

1996年4月14日生まれ

京都サンガF.C.時代から「古都のネイマール」と呼ばれるほど高いスキルを誇り、将来が嘱望されていた奥川雅也もまた滋賀県甲賀市の出身だ。

2015年夏に19歳でレッドブル・ザルツブルクへ加入して成長を遂げ、2021年に移籍したドイツ1部のアルミニア・ビーレフェルトでは2021-22シーズンに8ゴールを記録した。

2020年11月には日本代表にも招集されたが、チーム内でコロナのクラスターが発生したため残念ながら辞退。結局A代表へ招集されたのはその一度きりとなっている。

今季、2部のビーレフェルトから1部のアウクスブルクへ個人昇格。ただここまでは2試合の途中出場にとどまっている。

岩崎悠人

1998年6月11日生まれ

最後は、彦根市出身の岩崎悠人。中学時代はJFAアカデミー福島を2年次の秋に離れ、彦根市立中央中学校の部活に入り土のグラウンドでプレーしていたという、

京都橘高校で世代別代表の常連となり、2017年に京都サンガF.C.でプロ入り。1年目から35試合に出場したものの2ゴールと、当時から決定力が課題だった。

2019年以降は北海道コンサドーレ札幌、湘南ベルマーレ、ジェフユナイテッド千葉とチームを渡り歩き、2021年夏に加入したサガン鳥栖でウィングバックとしてブレイク。

福田師王も続け!鹿児島県出身のサッカー選手で「歴代ベストイレブン」を選んでみた

2022年のE-1選手権では怪我の武藤嘉紀に代わり日本代表へ追加招集され、10番をつけてピッチに立った。今季移籍が決まったアビスパ福岡でのプレーも注目される。

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