天皇皇后両陛下 朝まで眠らずに無事を祈られ…一般参賀中止のご決断に被災地からは感謝

2023年10月、25年ぶりにお二人で石川県を訪問された天皇皇后両陛下 /(C)JMPA

「夫の実家がある(石川県)珠洲市(すずし)の地震被害も大きく、港に津波が押し寄せてきたり、倒壊した家が道路にはみ出したりしています。親戚も建物の下敷きになっているとのことで、いま夫が珠洲市に向かっているところなのです」

1月1日に発生した能登半島地震。その翌日に本誌の取材に応じたのは、石川県野々市市在住のピアニスト・黒崎菜保子さん。

1月4日午後3時時点で判明している死者は84人と、石川県を中心に甚大な被害がもたらされている。

例年元日は天皇皇后両陛下にとってご多忙な日だ。皇室担当記者によれば、

「天皇陛下は早朝から宮中祭祀の四方拝などに臨まれ、その間、雅子さまも御所でお慎みになっておられました。その後は、宮内庁長官、皇族方、総理大臣ら三権の長、さらに各国の使節団の長などから新年の祝賀を受けられたのです」

能登半島地震が発生したのは夕方4時6分。

「天皇陛下と雅子さまは御所でテレビ報道などを確認されたり、宮内庁職員からの報告を受けられたりしました。1月2日には、新年一般参賀も予定されていました。コロナ禍以降初めて、抽選方式もとらない一般参賀だったため、2020年なみの7万人もの参賀者が予想されていたのです。

なかには一般参賀のために地方から上京していた人々もいるでしょう。そうした国民のために一般参賀を行うべきか、それとも中止にすべきか、宮内庁上層部も検討を重ねたようです。しかし地震発生から7時間後の23時ごろ、取りやめを決定しました。それは“寒さが厳しいなか、人命救助や消火活動が一刻も早く行われますように”という両陛下のお考えによるものでした。

その後も両陛下は報道を注視されながら、朝方まで眠らずに、被災者たちの無事を祈り続けられていたそうです」

■石川県は2カ月半前に訪問されてばかり

天皇陛下と雅子さまは、昨年10月中旬に石川県を訪問されたばかりだった。皇室担当記者が続ける。

「15日に金沢市で行われた『いしかわ百万石文化祭2023(第38回国民文化祭および第23回全国障害者芸術・文化祭)』開会式などに出席されるためでした。

開会式では伝統芸能や、伝統芸能に現代的なダンスや音楽などを組み合わせたオープニングステージを鑑賞されています。

その式典後、両陛下は出演者らと交流されました。例えば右手が不自由で左手のみでピアノを演奏した黒崎菜保子さんに天皇陛下は『左手のための曲、たくさんありますよね』と声をかけられ、雅子さまも『天皇陛下もピアノをなさっているのですよ』と、おっしゃる一幕もあったのです」

それから2カ月半、両陛下による新年一般参賀中止ご決断について、前出の黒崎さんはこう語る。

「石川県には10月に来ていただいたばかり。地元の人々との交流も記憶に新しく、そうした地域で災害が起こっていることで、天皇陛下と雅子さまもより心を痛められているのではないでしょうか。

10月のご来訪時には、県民の皆さんに対しての慈悲のあるお心を感じましたが、新年一般参賀を中止されたことからも被災地へのお気遣いを感じています」

黒崎さんと同じように10月15日に両陛下と懇談した茶道家の奈良宗久さんは、金沢市で被災。奈良さんの茶道道場・好古庵も被害を受けているという。

「家族はけがをしていませんが、庵の屋根が歪み、屋根瓦が少し路地に落ちてしまいました。灯籠も損壊しています。金沢市内は、比較的大きな被害はないようですが、古い建物は私の庵と同じように屋根瓦が落ちていますし、山間部は崖崩れも生じています。

昨年10月、両陛下にはお点前を披露させていただき、別室で3~4分ほどお話しさせていただきました。

新年一般参賀のお取りやめは、被災した地域のことを思われてのお気持ちと感じました。両陛下がお心を寄せてくださっていることに、被災地の皆さんも心強く感じていると思います」

両陛下そろっての石川県ご訪問は昨年10月が25年ぶりだったが、かの地は天皇陛下にとっても雅子さまにとっても、思い出が詰まった場所だ。

「天皇陛下は49年前の1975年8月に学習院高等科のゼミ旅行で、金沢市と輪島市に宿泊し、能登半島を一周されています。

今回の地震で1.2メートル以上の津波が観測された輪島港も見学されました。2017年に石川県を訪れた際には、当時の県知事へ能登半島旅行にについて懐かしそうにお話しされていたそうです」(前出・皇室担当記者)

■新婚時代に宿泊された老舗旅館も被害を

雅子さまもご成婚翌年の1994年に、天皇陛下とごいっしょに石川県を訪れられている。

「新婚の皇太子ご夫妻をひと目見ようと10万人を超える県民が沿道を埋め尽くし、能登の地が歓迎一色に包まれたのです。羽咋市の千里浜海岸をお二人でお歩きになったときには、美しい海岸線に沿って約300メートルの人垣ができるほどのフィーバーぶりでした。

4年後の1998年に再訪された際には、白山市にある『石川県ふれあい昆虫館』を視察されています。チョウがそれぞれの頭に止まってまるで髪飾りのようになり、二人で笑い合われるシーンもあったのです。

しかし1994年に宿泊された七尾市の老舗旅館『加賀屋』も、大きな被害を受けたようで、1月1日に一時休業を発表しています。

ご夫婦の絆を深めた思い出の地の惨状に、天皇陛下と雅子さまのご心痛はいかばかりでしょうか……」(前出・皇室担当記者)

愛子さまの22歳のお誕生日に際して宮内庁から報道各社に配布された文書には、愛子さまが黙祷されている日についても記載されていた。

「1月17日の阪神・淡路大震災、3月11日の東日本大震災、6月23日の沖縄慰霊の日、8月の広島・長崎原爆の日、終戦記念日の6日間は黙祷されているそうです。

地震が頻発する国・日本を導かなければという天皇陛下と雅子さまのお覚悟を共有されているからでしょう」(前出・皇室担当記者)

確かに12月9日に発表された雅子さまの60歳のお誕生日に際してのご感想には、次のような一文が。

《日本国内にあっては、南海トラフ地震や首都直下地震などの発生が今後心配される中、関東大震災からちょうど100年に当たった今年、防災や減災についての様々な啓発活動が行われていたことを心強く感じました》

雅子さまのお覚悟について、静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。

「もちろん災害がないことがいちばんですが、ときには震災によって、甚大な人的被害や物的被害が生じることは避けられないことを両陛下は常にお心にとめられてきたことと思います。今回の震災被害も我がことのように受け止めながら、すでに被災者を励ますためにどんなメッセージを送るべきか、現地慰問をいつすべきか、などを検討されているのではないでしょうか」

1月3日正午時点で把握されている石川県内の避難者は3万3千人以上に上るという。

「まだ調査中という地域もあり、避難者はさらに増えるかもしれません。家屋の倒壊や焼失などにより、避難所や仮設住宅での長期的な生活を余儀なくされる人たちが大勢出てくる可能性があります。

救助活動やインフラの復旧が落ち着いた時点で、天皇陛下と雅子さまも、被災者に寄り添われるために現地に足を運ばれるはずです」(前出・皇室担当記者)

両陛下には、突然の災害に襲われ苦しむ人たちにとっての希望の灯であり続けていただきたい。

© 株式会社光文社