突然無茶なお願いをしてくる人、善意や好意をそちらの思惑だけで一方的に押し付けてくる人など、こちらの意思を無視して関わりを持とうとされたらストレスを感じますよね。
人の間には境界線があり、それはお互いを尊重する大切な区切り。
「あなたと私は違う人間」という境界線を無視して踏み込んでくる人には、こちらと同時に自分の姿も見えていません。
こんな人にはどう接していけばいいのか、どう「置く」のが正解なのでしょうか。
「あなたと私は違う人間」だから居心地のいい関係が作られる
たとえ親子であっても、母親がこちらの好みをいっさい考えず「自分が好きだから」という理由で服を買ってこられたら、困りますよね。
気持ちはうれしいけれど、着る服は自分で選びたいし好きなデザインや生地もあって、受け取ったはいいものの結局出番がなくて母親にまた「あの服、着ているの?」なんて声をかけられたら、やっぱりストレスを感じます。
どんな間柄であっても、「自分とこの人は違う人間」で、それぞれ好みも嫌悪も別々にあって当然、「何でも一緒」とはいきません。
違いがあるからこそ、お互いの好きなものを見せあって楽しんだり、受け入れられない部分はそっと置いて衝突の種にするのを避けたり、付き合い方には幅があります。
その幅を居心地のいい余地として感じられるから、互いの好意が維持されて関係が続くのですよね。
人の間には境界線があって普通であり、違う人間だからこそお互いの気持ちを大切にしようとする意識が生まれます。
それを忘れて無遠慮に踏み込んでくる、自分の気持ちだけを正解にしてこちらに受け取ることを求めてくる人は、「自分と他人は同じであるはず」という間違った認識を持っています。
境界線を無視する人の特徴には、どんなものがあるのでしょうか。
こんな関わり方をする人には要注意
「自分がしたいから」で動く
たとえば野菜などのおすそ分けをしたいとき、まずは相手に連絡をして受け取ってもらえるか確認し、数や量を調整して向かいますよね。
境界線を無視する人は、電話もなく突然訪ねてきたり、「持ってきたから」と求めてもいないものを置いていったりします。
「自分がしたいから」が行動の理由であって、相手の都合や状態などは二の次になるのは、自分の満足しか考えていないから。
「相手はどうか」を確認せず一方的に自分の気持ちを押し付ける人は、他人との間にある健全な境界線が見えていません。
こちらのことを何でも知りたがる
仕事や住所、家族構成など、相手の情報を何でも引き出そうとするのも境界線を無視しているといえます。
心の距離の近さから、自分は相手のことをすべて「把握してもいい」と勘違いしているパターンです。
自分について、他人に何をどこまで伝えるかは人それぞれ許す範囲が違います。
どれだけ仲が良くても、相手が言えるかどうかまで考えずにあれこれと尋ねるのは不躾なこと。
「仲がいいのだから」「信用しているから」と、自分が向ける感情だけで相手にも同じような状態を求める人がいますが、どう在るかは相手が決めることですよね。
無遠慮に何でも知りたがる人は、こちらを尊重していないのと同じです。
断ると不機嫌になる
他人との間に境界線を引けていない人は、自分の気持ちが「受け止められて当たり前」と考えています。
善意や好意など相手のために良かれと思って動く人ほど、実際は自分の気持ちを満たすことが最優先で断られると不機嫌さを隠しません。
本当に相手を思ってのことなら、「今は結構です」とする気持ちを受け入れることができるはず。
そうではなく、「せっかく」と自分の都合を前に出して相手を責めるような人は、自己満足が行動の目的なのですね。
相手には相手の気持ちがあり事情がある、それを汲むのが対等であって、断ると不機嫌になるのは境界線が曖昧になっているからと思いましょう。
常に合わせてもらおうとする
普段の連絡でも買い物でも、自分がしたいときに相手は付き合って当然と考える人もいます。
「自分が」大変だから、暇だからと相手の時間を平気で奪おうとするのは、自分の状態を相手に良くしてもらおうとする依存です。
合わせてもらえるのは決して当たり前ではなく、付き合ってくれるのはあくまでも相手が好意を持ってくれているからですよね。
それに甘えて自分の都合を相手に受け入れさせようとする人は、境界線を無視しています。
感謝を求める
相手のために何かをした、関係に貢献したとき、感謝の気持ちの有無にこだわる人も自分の側からしかつながりを見ていないといえます。
何かしてもらったら相手は当然に「ありがとう」と言いますが、それが「足りない」「軽い」など自分の気持ちが満たされないことに不満を覚える人は、そもそも相手を対等と思っていません。
あえて自分への感謝を求めていくような人、「ありがとうと言うべき」と迫るのは、行動が相手のためではなく自分の存在感の証明になっているから。
境界線が引けていれば、相手のための言動は自分が決めたこととして納得できるはずです。
相手の気持ちは自分の要求とはまた別であること、感謝を伝えられたらまずは素直に受け止める姿勢が、居心地のいい関係では欠かせません。
境界線を無視する人とは少しずつ距離をとる
相手の関わり方が無遠慮で「失礼だな」と感じてしまう、気持ちをスルーされる自分ばかり受け取って疲れてしまう、そんな関係は健全とはいえません。
こちらは相手を尊重して正しく線を引いているつもりでも、相手が同じでないときもまた当然にあって、心と体に負担のかかるつながりはいつしかやめたいと思うようになります。
そんなとき、いきなり未読スルーや冷たい言葉をぶつけるようなやり方も考えてしまいますが、衝突が起これば後味の悪い終わりにしかなりません。
相手はその自分に違和感や疑問を持っていなければ変わることはなく、こちらが別の選択を決めていくのが最善です。
いつものように突然電話がかかってきて愚痴を吐かれはじめたら「いま外出中だから」など付き合えないことを伝える、欲しいと思っていないものを押し付けられそうになったら「気持ちはうれしいけれど今は要らないから」と手にするのを避ける、そうやって少しずつ相手の要求を拒否していくと、「断られる可能性がある」と実感した相手は接触を控えます。
無理をして関わりを受けるから相手は自分がストレスをかけていると気が付かず、「NO」を差し出すことでこちらにも事情があるのが当たり前なのだと伝えられます。
拒否することで罪悪感を覚える人は多いですが、人とのつながりは常に良い場面ばかりとは限りません。
自分も相手から「NO」と言われる機会を経験すれば、「それをしてもいい」のはお互いさまのはず。
ばっさりと縁を切るのも自分が楽になる一つのやり方ではあって、ネガティブな感情が残ってもすっきりするのは事実です。
それでも、相手との間に「傷つけあった」という確執が横たわれば、その後の環境によっては苦しい思いをする可能性を忘れてはいけません。
そのときの選択は後で自分に返るので、境界線を無視する人にはどう距離を置いていくのが自分のためになるのか、冷静に考えてみましょう。
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相手には悪意がなく、無邪気に線を踏み越えてくることもあります。
それをストレスなく受け入れられるならいいですが、圧力に感じたり嫌悪を覚えたりするときは、早めに「NO」を伝えるのが嫌な感情の摩擦を避けられます。
健全で居心地のいい関係には境界線があるのが普通、互いの気持ちを確認し受け入れあうのが尊重なのだと、忘れたくないですね。
(mimot.(ミモット)/ 弘田 香)