能登半島地震を受け、要救助者の捜索などを行った栃木県警広域緊急援助隊25人が5日、本県に帰還した。寸断された道路に迂回(うかい)を繰り返し、現地入りしたのは石川県珠洲市。断続的に続く余震に活動を阻まれながらも、生存率が著しく下がるとされる「発生後72時間」以内に救い出そうと懸命に捜索した。指揮官を務めた機動隊の相馬章宏(そうまあきひろ)小隊長(44)は「要救助者を家族に少しでも早く会わせてあげたいという一心だった」と胸中を語った。
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援助隊は地震が発生した元日の深夜、車両8台で出発。石川県内の珠洲市に向かう道路はいたるところが陥没などで寸断。進んでは引き返し、迂回路を探した。
通行可能な小型の3台に必要最低限の資機材を積んで現地入りしたのは約36時間後。一部の隊員と残りの車は他の突発事案に備え、同県七尾市で待機した。相馬小隊長は「思うように進めず、もどかしい思いだった」と振り返った。
被害の全容がつかめない中、要救助者がいないか、手探りで捜索を続けた。平屋か2階建てだったのか分からないほど押しつぶされた家屋。逃げ出せなかった人がいないか、一軒一軒くまなく探した。「一秒でも早く探し出したい」。そんな思いだったという。
突然襲う余震。一時現場を離れ、安全を確保してから再度、作業に当たった。倒壊家屋のはりをチェーンソーで切るなどし、心肺停止状態の被災者を救出した場面もあった。
相馬小隊長はこれまで、同隊員として新潟県中越地震などの被災地へ派遣された経験がある。「今回は特に、夜の気温は0度、昼でも気温が上がらず寒さを感じた」。援助隊員はテントで寝泊まりし、捜索を続けた。停電や断水、電波障害などもあり、厳しい状況下での活動だったという。
同隊は4日夜に任務解除となった。相馬小隊長は「救出に向けてまだまだ残って活動したい気持ちでいっぱいだ」と吐露した。
県警は要請があれば第二陣の援助隊を被災地へ派遣する方針。