亡き母の引き揚げ体験聞けず… 長崎・諫早の吉田さん 旧満州で過ごした女性と面会 こぼれる後悔の涙

写真を見ながら、津田さん(右)から旧満州での暮らしなどを聞く𠮷田さん=佐世保市

 長崎県諫早市の𠮷田統子さん(58)の母、福田年代さん=享年(86)=は、旧満州で生まれ育ち、戦後、日本に引き揚げた。新型コロナウイルス感染拡大の影響もあり、当時の体験を聞けぬまま亡くなった。心残りだった𠮷田さんは、母と同い年で、旧満州で育った津田典子さん(88)=佐世保市=と出会い、体験を聞いて母と重ね合わせた。「母を思い出して当時を知ることが、何よりも供養になる」
 津田さんは旧満州の大連で生まれ育った。極寒の地で、学校のグラウンドに水をまくと、朝には天然のリンクに。スケートをしてよく遊んでいた。現地で終戦を迎え、佐世保・浦頭に引き揚げた。
 年代さんは奉天(現瀋陽)で生まれた。時折、料理をしながら体験を話してくれた。がんを患い2021年に死去。療養中は新型コロナウイルス禍で面会時間がほとんど取れず「体験を聞きそびれてしまった」。
 津田さんの引き揚げ体験は今年8月に本紙に掲載。年代さんも同じようなスケート遊びの話をしていた。「母と一緒だ」-。記事を読んだ𠮷田さんは亡き母を思い、涙があふれた。
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 「遠い所から、よくいらっしゃいました」。津田さんが出迎えると、𠮷田さんは安心したような表情を浮かべた。津田さんが満州での写真を見せながら、思い出話を交えて当時を振り返った。
 𠮷田さんは母に聞けなかったことを津田さんに尋ねた。「生まれ育った満州から日本に帰るとき、母はどんな気持ちだったんだろうと思うんです」
 「『日本はどんな所なんだろう』って思いましたよ」と津田さん。引き揚げ船が佐世保に入るとき「満州にはない山の深い緑がとてもきれいだった。『わー』って声を上げたのよ」。優しいまなざしで語る津田さん。𠮷田さんはうなずきながら聞き入っていた。
 津田さんは戦後の苦難も語った。大連では、ほかの地域から逃げてきた日本人が集団で学校に身を寄せていた。「校庭に(チフスなどで亡くなった)避難民の死体が積み上がってね」。豆かすが乗ったような汁しか飲めず「飢えが一番きつかったのよ」。
 年代さんは療養中、病院食の重湯をかたくなに口にしなかった。𠮷田さんは元気になってほしい一心で、食べさせようともした。「だから母は嫌いだったのかな。もっと話を聞いておけば、寄り添ってあげられたのかもしれない」。大粒の涙が頬を伝っていた。
 2人が対面したのは9月26日。年代さんの誕生日だった。「お母さんも喜ばれてると思うよ」と津田さん。「そうですね」。𠮷田さんは涙を拭い、うなずいた。
 津田さんとの出会いを機に、𠮷田さんは反戦への思いを強くしている。ロシアによるウクライナ侵攻や、パレスチナ自治区ガザ情勢など、世界で戦火がやまない。「核兵器も戦争もない、平和な世界が続いてほしい」

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