スター候補生インタビュー(6) 野球 常広羽也斗(青山学院大4年、大分舞鶴高卒)「ストレートで勝負したい」 【大分県】

大分舞鶴高時代から向上心が高く、「プロ野球選手になる」という明確な目標を持って青山学院大に進学し、一気に才能を開花させた。しなやかでリズミカルな投球フォームから繰り出す140キロ台のストレートを両コーナーに巧みに使い、ピンチの時はギアを上げて空振りを奪える。広島東洋カープの「ドラ1」は投手として最高の評価であり、即戦力として1年目から活躍が期待される。

Q:入団会見を終え、間もなく入寮。率直な感想は?

いよいよプロ野球選手になるんだなと実感しています。年末には地元・大分で入団激励会など開いてもらい、(小学校から高校まで所属したチームの)監督やチームメイト、保護者の方々など応援してくれた皆さんに会うことができました。今後も喜んでもらえるような活躍をしたいと思いました。

Q:プロはいつから意識していたのですか?

大学に進学する際にレベルの高い東京六大学から東都リーグでやりたいという希望があり、青山学院大に入学して1年の頃からずっとプロ野球選手になると思っていました。現実的になったのは3年生の秋。コンスタントにリーグ戦で投げるようになり、リリーフから先発マウンドを任せられるようになってからです。

Q:その後は、青山学院大の33季ぶりのリーグ優勝、全日本大学選手権での優勝とMVP、最優秀投手賞を獲得し、日本代表として日米大学野球に出場。一気に飛躍しましたね。

入学して最初の2年間は試合に出られなくて、ずっと苦しい思いをしてきました。ただ、その経験があったから3年の秋に、自分は何をすればいいか明確になりました。阪神ドラフト1位の下村海翔(青学大の同級生)のピッチングを見ていたし、周りに見本がいました。ピンチになったときこそ自分ではなく、相手と勝負できるようになった。それが大学4年間で一番成長できた部分だと思います。

入団激励会では地元の方々の期待を感じたようだ

Q:では、高校3年間で成長できたことは?

(大分舞鶴高は)進学校なので勉強と野球の両立が大変だったけど、その環境で甲子園出場を目指した3年間でした。監督から「力を入れなくても正しいフォームで投げれば球速は出る」と言われ、今の土台を作ることができたと思っています。

Q:高校の公式戦デビューとなった1年の夏の大分大会、明豊との準決勝で初球を浜田太貴(ヤクルト)にレフトスタンドに運ばれました。再戦したいのでは?

特別な思いはありません(笑)。当時は圧倒的な力の差があったので悔しさより、逆にすがすがしかった。あれだけきれいに打たれることはないので、自分の未熟さを知ることができました。ただ、次に対戦したら抑えたい。それはどの打者に対しても同じ気持ちです。

Q:2024年はどんな年にしたいですか?

まずは自分の立ち位置を知るということ。そこから課題と目標を見つけたいです。周りの期待、プレッシャーはありますが、自分を見失わず、焦らずに成長できればと思います。

Q:では最後に、プロ初登板、第一球は何を投げたいですか?

もちろんストレートです!

「プロ1年目は自分の立ち位置を確かめ、焦らずに成長したい」と語った

(柚野真也)

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