混同される「安楽死」と「尊厳死」 “合法化”議論の前に理解されるべき言葉の意味

同じ「死なせる」でも、両者の内実は異なっている(kokano/PIXTA)

「安楽死」とは『三省堂国語辞典(第七版)』によれば、〈はげしいいたみに苦しみ、しかも助かる見こみのない病人を、本人の希望を入れて楽に死なせること〉とある。しかし近年では、「障害者を安楽死させるべきだ」と声高に叫ぶ殺人犯が現れ、著名脚本家が「社会の役に立てなくなったら安楽死で死にたい」と主張するなど、本来の言葉の意味と異なる使い方がなされているケースも多い。

その背景には、海外で安楽死が次々と合法化された国際的な流れや、日本国内の社会情勢の変化なども少なからず影響しているのかもしれない。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事の児玉真美さんは、日本では安楽死の合法化について話す以前に、「まだまだ知るべきことが沢山あると気づいて」ほしいと話す。

この記事では、安楽死をめぐる国内外の動きや、揺れる言葉の定義について紹介する。連載第3回は、安楽死について考える際に「知っておくべき」言葉について解説する。(全5回)。

※【第2回】「高齢者は集団自決を」発言と映画『PLAN75』の不気味な符合 安楽死に対する“世の中の空気”に漂う危うさ

※ この記事は児玉真美さんの書籍『安楽死が合法の国で起こっていること』(筑摩書房)より一部抜粋・構成しています。

「安楽死」と「尊厳死」の違いは?

日本でもっとも頻繁に混同されているのは、日本で言うところの「尊厳死」と「安楽死」だろう。

日本で言うところの「尊厳死」とは、一般的には終末期の人に、それをやらなければ死に至ることが予想される治療や措置を、そうと知ったうえで差し控える(開始しない)、あるいは中止することによって患者を死なせることを指す。

たとえば人工呼吸器や胃瘻(ろう)などの経管栄養また人工透析などの「差し控え(不開始)と中止」が議論となる。

それに対して「安楽死」は、医師が薬物を注射して患者を死なせることをいう。

同じ「死なせる」でも、両者の内実は異なっている。前者は、やらなければ死が予想される状態で治療しないことなので、「死ぬに任せる」という言い方をすることもある。後者では、医師が死なせる意図をもって薬物を注射するのだから、こちらは直接的に死に至る行為を医師が行って、つまりは「殺す」ことを意味する。

安楽死が合法の国でも「積極的安楽死」は違法行為に当たることがある。(nnudoo / PIXTA)

このように医師が直接的に死を引き起こす行為をするかしないかの違いによって、前者を「消極的安楽死」、後者を「積極的安楽死」と分類することもある。その意味では、どちらも広義には「安楽死」であると考えることもできるし、孕(はら)んでいる問題には現に共通する部分もあるのだが、実態として前者つまり日本で言うところの「尊厳死」は、現在の終末期医療においてすでに選択肢のひとつとされ、日常的に行われている。

一方、後者の「安楽死」は現在の日本では基本的に違法と考えられているので、混同しないように注意が必要だ。

同一視される「医師幇助自殺」と「安楽死」

もうひとつ、日本ではほとんど区別されることなく「安楽死」と称されがちなのが「医師幇助自殺」だろう。

かつては自殺目的で使用することを前提に医師が処方した薬物を患者自身が飲んで死ぬことを意味していたが、それでは障害のために嚥下(えんげ)能力が低下した人が死ぬことができないという声が上がり、最近は医師が入れた点滴のストッパーを患者が外す、より安楽死に近いやり方も行われている。

ただし、患者自身の意思による「自殺」であることの証として、死を引き起こす最後の決定的な行為は患者自身によって行われなければならない。

合法化が先行しているヨーロッパと米国の議論では「安楽死 euthanasia」と「医師幇助自殺 Physician-Assisted Suicide(PAS)」とが長く使い分けられていたが、2016年にカナダが両者を「医療的臨死介助 Medical Assistance in Dying(MAID)」という文言で一括して合法化して以降、区別せずに議論する傾向が広まっている。

「医療的臨死介助」概要ページ(カナダ政府サイト〈https://www.canada.ca/en/health-canada/services/health-services-benefits/medical-assistance-dying.html〉より)

それ以前から、合法化を推進する人たちはAid/Assistance in Dying(AID)、Voluntary Assisted Death/dying (VAD)、Physician-Assisted Death/Dying(PAD)など、「(自分の意思により)(医師の)介助を受けて死ぬこと」という捉え方で両者をくくる文言を好む傾向があったが、カナダの合法化以降、メディア等でもそれらが用いられることが多くなっている。

こうした傾向に対して、いくつかの州が医師幇助自殺を合法化している米国では2018年に内科医学会の倫理法務委員会から、行為を正確に表現する文言は「医師幇助自殺 Physician-Assisted Suicide(PAS)」であり、上記のAIDやPADなど、緩和ケアと混同される可能性のある文言を使うべきではないとの提言が出ている。

このように、直接的に死を引き起こす決定的な行為を医師がするのか患者自身が行うかの違いを倫理的に重視する議論もある。

また、「海外では合法化されているのだから日本でも安楽死の合法化を」と主張する人をよく見かけるが、医師幇助自殺のみを合法とし積極的安楽死はなお違法という国や州もあることは知っておきたい。

たとえば、「NHKスぺシャル」が密着取材した難病女性の事例は、スイスの自殺幇助クリニックでの死だった。番組が一貫して「安楽死」と称したために「日本でも安楽死を合法に」との声が一気に広がったが、スイスで容認されているのは医師幇助自殺のみ。

NHKスペシャルサイト内「彼女は安楽死を選んだ」(https://www.nhk.or.jp/special/detail/20190602.html)より

「海外の安楽死」としてよく引き合いに出されるスイスだが、かの地では積極的安楽死は今なお違法行為である。

医師幇助自殺も広義には「安楽死」に含められるし、検討すべき倫理問題の多くが両者に共通するため、「安楽死」として両者が包括的に議論されることが多いが、この問題について考えようとする人は少なくとも両者の違いと、論点によっては区別して考える必要があることを知っておくべきだろう。

(#4に続く)

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