新成人おめでとう!あのミュージシャンが【20歳のときに歌った曲】90年代ベストテン  90年代、人気アーティストが20歳の時に歌っていた名曲をセレクト

90年代成人の日クロニクルで10曲をピックアップ

本日新成人を迎えた皆さん、おめでとうございます。

ちょうど1年前に新成人おめでとう!昭和のミュージシャンが【20歳のときに歌った曲】10選ということで、80年代の曲を中心に10曲紹介させて頂いたのだが、今回は、その企画の90年代編ということで、今回も10曲ピックアップすることにした。うまい具合に1年1曲でハマったので、1990年から順を追って “90年代成人の日クロニクル” という趣でお送りしたい。

J-POPの時代の幕開けを象徴するような1曲

今すぐKiss Me / LINDBERG(渡瀬マキ)(1990年2月7日発売)

90年代の幕開けはこの曲から。80年代にアイドルとして歌手デビューした彼女だが(デビュー当時は「渡瀬麻紀」名義)、90年代の幕開けと共にロックバンド “LINDBERG” のボーカルとして大ブレイク。「今すぐKiss Me」はドラマの主題歌として起用され、彼ら最大のヒットとなった。”80年代” というアイドルの時代の終焉と、”90年代” というJ-POPの時代の幕開けを象徴するような、時代の結節点として記憶に刻まれる1曲。

翼をください / 川村かおり(1991年1月23日発売)

日本人とロシア人のハーフであるロックシンガー川村カオリ(当時の表記名は川村かおり)の8枚目のシングル「翼をください」は、彼女の20歳の誕生日にリリースされた。元々はフォークグループの赤い鳥が発表し、その後日本国内では老若男女誰もが知る有名曲となったが、高橋研アレンジによって、青空へ突き抜けるようなロック・テイストに生まれ変わった。そんな彼女は38歳で乳癌にて早逝。“多様性” “ボーダレス” が叫ばれる昨今だが、それを30年前に、最も歌で体現してきたアーティストは川村かおりだったのではないだろうか。

もっと強く抱きしめたなら / WANDS(上杉昇)(1992年7月1日発売)

90年代を象徴する一大ムーブメント、“ビーイング系” アーティストであるWANDS。彼らがブレイクした1992年、リードボーカルの上杉昇は弱冠20歳。ロングセラーとなった、この「もっと強く抱きしめたなら」は、1970年代生まれの男性ボーカルによる初のミリオンヒットであった。産業ロックのように揶揄されることもあったWANDSだが、徐々に上杉が望むオルタナティヴ・ロックテイストに移行。しかし、そうした矢先の1996年に上杉はバンドを脱退してしまう。今思えば、20代前半にして彼が最前線から姿を消してしまったことはなんとも惜しまれる。

キムタクがハタチの時にリリースされた「$10」

$10 / SMAP(木村拓哉)(1993年11月11日発売)

  WANDSの上杉昇とSMAPの木村拓哉・中居正広は意外にも同学年。この1993年という時期はビーイング系全盛の陰で、SMAPはセールス的に苦戦を強いられていた。そんな彼らにとって大きな転換点となる「$10」がリリースされたのが、木村拓哉が20歳の時。10代で人気を博した男性アイドルが20代にその人気を維持していくことは難しいことだが、逆にSMAPの場合はこの「$10」が、後の人気の起爆剤になったと言っても過言ではないだろう。

友達でいいから / 高橋由美子(1994年1月21日)

このコラムの昭和編を執筆した際、10選のうち半分以上は女性アイドルが占めていた。しかしながら “アイドル冬の時代” の90年代だとそういう訳にはいかない。そんな90年代の中盤、“20世紀最後の正統派アイドル” 高橋由美子がひとり気を吐いていた。その佇まいを例えるなら真冬に咲く満開の向日葵。ドラマ主題歌に使用されたこの曲は、オリコン最高位10位と大健闘。こうした結果が得られたのは、彼女のアイドルとしてのポテンシャルの高さの証だろう。

泣かないぞェ / 鈴木蘭々(1995年8月8日発売)

こちらもアイドル枠と言って良いだろうか。ポンキッキーズでの相方、安室奈美恵は1995年に「TRY ME 〜私を信じて〜」で一足先にブレイクしていたが、同年、鈴木蘭々もは歌謡界の巨人である筒美京平をコンポーザーに迎え満を持して歌手デビュー。私も大いに期待したのだがランキング的にはオリコン最高位29位に留まり、このクオリティでここまでか… と個人的にアイドル時代の終焉を実感した1曲でもあった。なお、チャートの話ばかりで恐縮だが、同じ1995年に20歳でデビューした相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」は最高12位、この曲で翌年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たしている。歌手がブレイクするための方程式は時代とともに変化したのだ。

20歳のときに歌った曲大賞はhitomi「by myself」

by myself / hitomi(1996年8月7日発売)

今回10曲選んだ中で “20歳のときに歌った曲大賞” を1曲選ぶとしたら、この「by myself」だろう。

「♪夜に飛び込むだけじゃ 輝くこと忘れる」というフレーズは、享楽の中に見え隠れする一滴の孤独感や、90年代という不透明な時代に生きる焦燥感がうまく表現されているし、「♪楽しいだけ 満足できぬ」のフレーズは刹那的な日常に流されそうになっている自分自身を諫めているようにも思える。20歳の女子のありのままがこの時代の空気と混然一体となって刺さってくる大名曲。作詞はhitomi本人。

Dreaming I was dreaming / 安室奈美恵(1997年11月27日発売)

19才にして「Don't wanna cry」で史上最年少のレコード大賞を受賞し名実とともに日本音楽界のトップに上り詰めた安室奈美恵。その後「CAN YOU CELEBRATE?」という金字塔的代表作の発表を経て、20歳の誕生日を迎えたその翌月の「妊娠・結婚」という報道に世間は仰天した。産休前のラストシングルとなった「Dreaming I was dreaming」。この曲のジャジーでメロウな佇まいからは、もはや20歳にしてすべてやりきったような、達観している感じすら受ける。

For My Dear… / 浜崎あゆみ(1998年10月7日発売)

安室奈美恵の産休という巨大な穴。その間隙を縫うかのように女性ボーカリストのデビューが相次いだのがこの1998年であったが、4月に「poker face」でデビューした浜崎あゆみが、歌姫の座に君臨するのはあっという間の出来事だった。20歳の誕生日の翌週にリリースされた4枚目のシングル「For My Dear…」では、「♪いつの日か言いたい…」というストレートな歌詞の中に、ボーカリストとしての自分自身が巧みに投影されている。翌1999年の元旦にリリースされたファーストアルバム「A Song for ××」は初登場1位のミリオンセールスを記録。ここから本格的に浜崎あゆみの時代が始まる。

余裕と貫禄すら感じられる20歳のMISIA

BELIEVE / MISIA(1999年4月21日発売)

もうひとりの1998年デビューの歌姫がMISIAである。先述した浜崎あゆみとは同じ1978年生まれの同学年。彼女が20歳の時にリリースしたシングルはこの「BELIEVE」のみであるが、完成された彼女のボーカルからは余裕と貫禄すら感じられる。この時点で20歳というのが信じられない位だ。そして、ここから20年後の2019年、これも20歳の時のリリース曲である「INTO THE LIGHT」を紅白歌合戦のトリでメドレーで披露。その後5年連続で大晦日のトリを務める未来を20世紀の時点で誰が予想できただろうか。

―― 以上、「あのミュージシャンが20歳の時に歌った曲(90年代編)」を10曲ピックアップしたが、いかがだろう。正直、今回は昭和編の時よりも選曲に苦労した。その理由は明らかで、10代デビューが一般的であるアイドル歌手が少なかったからだ。実際、90年代で選曲してみて、アイドル勢は大苦戦の様相であった。

しかしながら、選んだ10曲は “20歳の時の曲” と十把一絡げにしてしまうのは申し訳ない程バラエティに富んでおり、そこから透けて見える人生模様も多種多様だ。これらの楽曲は20年以上経った今聴き返してもそれぞれに瑞々しく逞しい。

2022年に民法改正を経て対象者が20歳から18歳に変わった「成人の日」。だが、成人の日は彼らだけのための日ではない。長い年月を生きてきた大人たちが、1年に1度、こうした「20歳のプレイリスト」を聴いて、あの頃の自分に思いを馳せつつ初心に帰るのも悪くないだろう。なぜって…、生きていく限り、本当の意味で自分自身が “成人” したと実感できる年齢には、決まりなんてないからだ。

カタリベ: 古木秀典

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