「社会に適応できるようになりたかったんです」
困窮家庭で育ち、中学生のときに母親が家を出たことをきっかけに不登校になった杏寿(あんじゅ)さん(20)=仮名。受験期を迎えて辛うじて持ち直し、2019年春、通信制高校の日々輝学園に入学した。
全日制のように、週5日通学した。放課後は「マックとかで、ずっとおしゃべり」。誰とでも話し、仲の良い友達もできた。
母親が去った家では、酒を飲むと暴れる父と2人きりの生活が続いていた。それだけに、穏やかに過ごせる学校は自分らしくいられる唯一の居場所になった。
それから、わずか半年余り。学費を工面してくれていた母親との連絡が途絶えた。
言葉に壁のある外国人の父には学校関係の手続きが理解できない。相談に応じてくれる様子もなかった。
退学を意識せざるを得なくなった。
「行く意味ない」
学費を滞納しながらも2年生に進級したが、登校ペースは月1回程度になり、学校に行っても授業を受けなくなった。自暴自棄になっていた。
「生きているのがつらくて。死に方を調べ、ホームセンターで縄を買った。本気でした」
◇ ◇
杏寿さんに手を差し伸べたのは、当時、日々輝学園の宇都宮キャンパス長だった山本明子(やまもとあきこ)さん(62)ら教師たちだった。
「まず会って、話して、少しでも気楽になればと思ったんです」。山本さんが振り返る。
昼食代のない杏寿さんのために、おにぎりを毎日握った。小食だから、小ぶりなものを二つ。
「おにぎりあるから、おいで」
学校に来る「理由」をつくりたかった。スクールカウンセラーは自宅からの送迎を買って出た。
最大の懸案だった学費。誰かに頼ることを諦めていた杏寿さんには内緒で、山本さんは父親を学校に呼び出した。
「1万でも、2万でもいい。持たせてあげて」。そう頼み込んで、手作りの支払い用封筒を渡した。
杏寿さん高校2年の夏。わずかだが学費が支払われるようになった。何とか、学校に残れるめどが立ち始めた。
◇ ◇
3年生になる頃、杏寿さんは再び毎日登校するようになった。自分に目を向けてくれる周囲の存在が支えとなった。
「私は人に恵まれていたと思う。先生に『もう無理』と愚痴ったり、友達と話したり。そういうのでガス抜きができたんだと思う」
卒業、就職-。近い未来を意識するようになった。少しだけ、視界が開けてきた。