今この瞬間の勇気!JUDY AND MARY「くじら12号」新しい年にふさわしい90年代の名曲  YUKIのハイトーンボイスが突き抜ける!ジュディマリの名曲「くじら12号」

大のサッカーファンを公言するTAKUYAのアツい思いが込められている「くじら12号」

YUKIの持つストレートで伸びやかなハイトーンボイスが、空高くどこまでも突き抜けてゆく────

「くじら12号」は、1997年2月にリリースされたJUDY AND MARY 11枚目のシングル曲だ。その飛び抜けてポップなメロディには、大のサッカーファンを公言するTAKUYAのアツい思いが込められている。この年、サッカー日本代表の悲願であるFIFAワールドカップ初出場を賭けたアジア地区最終予選が始まるのだ。

多くのクラブチームが、ピッチ上の11人を支える “12番目の選手” としてサポーター番号を「12」にしているという。そのことを知っていたTAKUYAは、曲のタイトルを迷うことなく「くじら12号」にした。サッカーファンの鏡としか言いようがない。

曲調が底抜けに明るくて爽快感が半端ないのは、1993年の「ドーハの悲劇」から気持ちを切り替えて「今度こそW杯出場を決めてやろうぜ!」という仕切り直しのスタートに相応しいポップチューンとしてTAKUYAが作曲したからだ。

そう、「くじら12号」は、サッカー日本代表が今度こそ大きく羽ばたくための応援歌なのだ。 新しい年にふさわしい90年代の名曲ということで、「くじら12号」とJUDY AND MARYの魅力を語ってみたい。

JUDY AND MARYがひと皮むけた印象を放つアルバム「THE POWER SOURCE」

「くじら12号」は、100万枚超のミリオンヒットを飛ばした「そばかす」と共に、JUDY AND MARY4枚目のアルバム『THE POWER SOURCE』に収録されている。その新しいアルバムには、TAKUYAの曲がリーダーの恩田より多く収録されていた。その “異変” にいち早く気づいたコアなファンたちは、あらぬ憶測に少々ザワめいた。

ふつうに考えれば、1995年にリリースされた7枚目のシングル曲「Over Drive」(TAKUYA作曲)がオリコンチャート4位のスマッシュヒットをキメたことで、今後は積極的にTAKUYAの曲も推していこうと決めた… だけのことなのだが、このバンド、ファンも知ってのとおり個性の強いメンバーが集まっているからか、ちょっとしたことで一触即発なのである。

この、JUDY AND MARY初期におけるバンド内で燻っていたパワーバランス問題は、プロデューサーとして参加した佐久間正英も感じていたという。

「そうですね。言ってしまえばメンバーとして集められた人達であって、元々仲間とかではなかったし、年季が入ってる2人と新人2人っていう組み合わせで始めて。最初は年季組が勝ってて、新人組がいろいろ言われていたのが、だんだん新人組が勝ってきて、年季組がパワー・ダウンしていったんですよね」cite: 「井桁学のGuitar Workshop」 Artist interview第3回佐久間正英単独インタビューより

この辺りはアルバムを聴きこむとわかるけど、ファーストとセカンドの2枚のアルバムではTAKUYAの影が薄い。恩田の曲が中心だからかもしれないけれど、テクニカルな片鱗を感じさせながら恩田に遠慮しているような雰囲気があって “言われた通りに弾いています” という印象だ。これが3枚目のアルバム『MIRACLE DIVING』になると、我慢しきれないTAKUYAが、自分の曲にアグレッシブなフレーズを挟むようになり(笑)、何となくだがバンドの方向性に揺らぎが感じとれるのだ。

尊敬するベーシスト、佐久間正英からの助言

その当時のことをプロデューサーの佐久間がインタビューで語っている。

「バンド内の2対2のギャップみたいなものが、しばらくずっとあったと思います。『MIRACLE DIVING』を録り終わったぐらいの時だったかな。(中略)

そこでちょっとシビアな話をして、“バンドというものはね” ということを話した記憶があります。そこからバンド内の力関係を含めて何かが変わって、若い2人が引っ張っていく感じになったんですよ」cite: 【月刊BARKS 佐久間正英 前進し続ける音楽家の軌跡~プロデューサー編 Vol.3】「90年代のプロデュースその1~JUDY AND MARY、GLAYをめぐって」より

プロデューサーからの冷静な物言い… それは、恩田が熱望して佐久間正英をプロデューサーに迎え入れた経緯もあるが、同時に恩田自身が最高に尊敬するベーシストでもある佐久間からの助言なのだ。面と向かって「バンドやめちゃえば」と、一番言われたくないことをズバッと指摘された恩田の屈辱は相当だったろう。

「この世界には満足できないこと、変えられないことがある。しかし、自らを変えることこそが、未来を変えることになる」

ーー とは、アリババ創業者のジャック・マーの言葉だが、器のデカさは屈辱の大きさで決まるのであって、味わった屈辱が大きい人ほど器がデカくなるものなのだろう。

いろいろわだかまりはあったかもしれないが、そこは年長者である恩田がTAKUYAを尊重することで決着がついた。 まぁ、恩田作曲の「そばかす」に対して、TAKUYAの神懸かり的なギタープレイをまざまざと見せつけられた恩田は、そのセンスを認めざるを得なかっただろう。

恩田の切なくメロディアスな楽曲に対してTAKUYAのスパイスが効き、逆にTAKUYAの実験的とも思える楽曲を恩田のベースがしっかりと支えることでバンドは上手く回りだした。そうやってアルバム『THE POWER SOURCE』は完成にこぎつけたのだ。言わばこのアルバムは、JUDY AND MARYにとって心機一転、新しいスタートと言えるんじゃないかな。結果『THE POWER SOURCE』は、アルバムランキングでオリコン週間1位を獲得、年間でも4位というチャート順位を記録した。

自由奔放にみえて計算し尽くされた天才TAKUYAの「プロフェッショナルの流儀

そんなTAKUYAのギタープレイだが、「そばかす」の度肝を抜くプレイはもちろん、この「くじら12号」では、その魅力の核心を存分に味わえる。特にイントロからAメロの部分… イヤフォンだと左耳で鳴るオーバードライブ・サウンドが、痺れるほどカッコイイのだ。

幾何学模様のような調子っぱずれに聴こえるフレーズは、ちゃんとスケールに乗っ取って弾いているし、ボーカルを邪魔しないギターの歪み具合も完璧に計算している。ボーカルの継ぎ目に挟みこむギミックに無駄はなく、そのフレーズ全てが絶妙なタイミングなのだ。存在感がありながら出しゃばらないという抜群のバランス感覚によって、YUKIの声がよく通りスッキリしたサウンドに聴こえるのである。

待ってくれ… よく聴くと、アコースティックギターのカッティングでバッキングを補完しているじゃないか! この辺りはプロデューサー佐久間の意見が活かされているのだろう。TAKUYAの成長はプロデューサーの佐久間あってのものだからだ。

JUDY AND MARYの奇跡とは、この4人が揃ったこと

さて、TAKUYAをベタ褒めしているけれど、ここまで多種多様なフレーズを自由奔放に弾けるのはこのリズム隊があってこそ。特に恩田のプレイはパンクな見た目とは裏腹に、堅実にボトムを支え続ける律儀なプレイが印象的である。音数が多いフレーズでも音の粒立ちがキレイで、ピック弾きでも指弾きでも全くブレがない。どこかギターっぽく歌っているようなベースラインも面白いところである。

ドラムもまた堅実である。抜け感が心地よいフィルインと寸分の狂いがないビートは几帳面な性格が功を奏しているのかも… なんといっても、いまや音楽学校の校長先生なのだ。ミスが無い完璧に息の合ったリズム隊である。そんなふたりの実力を、異彩を放つギタリストTAKUYAが信頼しているからこそギターで大冒険ができるのだ。

そして、この骨太な3ピースにYUKIのボーカルが加わるのだからたまらない。JUDY AND MARY解散後の2000年代から現在にかけて、声にビブラートをかけずにここまで強くストレートに歌うボーカリストを僕は見たことがない。類稀なる歌唱力とはこのこと。YUKIとは、唯一無二の存在なのだ。

圧倒的声量のYUKIは、飛び切りのハイトーンを地声で歌い切る。その正統派な力強さと同時に、挑発的なパフォーマンスとあどけない色気をかます…。 “大人幼女” というギャップ。90年代のYUKIは、男性にも女性にも愛される本当に無双状態だった。奇跡があるとしたら、それはJUDY AND MARYという4人が揃ったことに他ならない。

JUDY AND MARYが持つ、魅力の本懐とは?

JUDY AND MARYが今も支持される理由は、その歩んだ軌跡があまりにも鮮烈だったからだろう。TAKUYAがバンド内で個性を発揮したことや、YUKIがボーカルの資質を開花させたことも、ふたりが恩田と五十嵐とバンド内で本気でぶつかり合った結果だ。

斬るか斬られるかの日々を生き抜き、自己を研鑽し散っていった戦国武将たちのようでもある。若い4人が己の存在を賭け、魂をぶつけ合って弾けた火花の輝き… それは、全力で突っ走ってゆく青春の輝きそのものだ。それこそがJUDY AND MARYが持つ魅力の本懐なのである。そのあたりが「くじら12号」の歌詞に見て取れる。

 まだ誰も知らない あの空の果ては
 きっと 眩し過ぎて 見えない

YUKIのパワフルな歌声が、眩しすぎるガラスの扉をぶち破る… 未来への不安を一気に蹴散らす「くじら12号」という曲は、JUDY AND MARY自身が自らの殻をぶち破った曲であると同時に、聴いている僕ら自身も奮い立たせてくれる曲なのだ。それゆえ「くじら12号」から放たれる眩ゆい光に、自分を重ね合わせた多くのファンがその一体感に高揚するのだ。

新しくスタートを切る… それは過去でも未来でもなく、一歩踏み出すこの瞬間の勇気。JUDY AND MARYとは、今この時を大切に生きる君と勇気を分かち合うバンドである。2024年…「今年こそ!」と、一発奮起して目標を掲げた人は、ぜひ「くじら12号」を聴いてみてくれ。元気が出るぞ!

カタリベ: ミチュルル©︎たかはしみさお

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