「大谷翔平はトロントに飛んだ」史上最高の1千億円契約、その直前に起きた大混乱の「内幕」 錯綜する情報、有力記者が大誤報、代理人の大勝負…記者が見ていた裏側

米大リーグ、ドジャースの入団記者会見で笑顔を見せる大谷翔平=2023年12月、ロサンゼルスのドジャースタジアム(共同)

 「大谷狂想曲」は佳境を迎えていた。2023年12月8日午前8時過ぎ。米大リーグのエンゼルスからフリーエージェント(FA)になり、日米メディアがその行方を追った大谷翔平の姿を確認すべく、筆者は自宅から車を走らせ、カリフォルニア州オレンジ郡のジョン・ウェイン空港に向かっていた。前夜、SNSが大騒ぎになっていたからだ。
 「ブルージェイズの本拠地カナダのトロントに向けて、8日朝に出発予定のプライベートジェットがある。大谷が乗るのではないか」
 ブルージェイズは4日に幹部がフロリダ州のキャンプ施設で大谷と面談したことが伝えられ、移籍先の有力候補に浮上していた。ジョン・ウェイン空港は決して大きくなく、チャーター機でトロントに飛ぶ人が頻繁にいるとは思えない。あまりに絶妙なタイミングだ。一方で、これまでの取材で得た感触から本当にブルージェイズ?という疑問もぬぐえなかった。半信半疑のまま、空港に到着した。(共同通信ロサンゼルス支局=益吉数正)

番号はN616RH、蔦林史峰  ボンバルディア社のグローバル・エクスプレスBD700型=2023年12月8日、米ロサンゼルス近郊のジョン・ウェイン空港で撮影(共同)

 ▽高まる緊張感
 目的の機体はすぐに見つかった。その飛行機にもし本当に大谷が乗り込むようなら、ブルージェイズと契約する可能性が極めて高くなる。本人を確認できたら、デトロイト在住の記者にトロントの空港に向かってもらう手はずも整っていた。この時点で他にメディアの姿はなく、ずらりと並んだ飛行機を見に来た現地の親子と会話しながらも、心中では緊張感が高まっていた。
 ほどなくして日本から出張中のカメラマンが合流。その後、日本のテレビ局のカメラマンも現れ、3人でその瞬間を待った。ただ、タラップは筆者らがいる位置とは逆側につくため、機体で顔が隠れてしまいそうだった。確信を持って報告できるか、少し不安も覚えていた中、1台の車が機体に横付けされた。
 果たして―。飛行機に乗り込んだのは、子ども2人、スーパーの袋を持った大人の男性と女性の計4人。家族連れのようだった。大人の顔は機体で隠れてはっきり見えなかったが、姿形は大谷と明らかに違う。「トロントに向かったのは大谷ではない」。確かな感触を持って会社に報告した。

米大リーグ、大谷翔平のドジャース入団記者会見に詰めかけた報道陣=2023年12月14日、ロサンゼルスのドジャースタジアム

 ▽揺らぐ確信
 飛行時間は4時間半前後。SNSでは、依然としてこの話題で騒然となっていた。「別人」とすぐに記事にするべきか。取材に動いた情報がインターネット上の臆測にすぎなかっただけに逡巡していたが、直後に確信が揺らぐ事態が起きた。専門局MLBネットワークのジョン・モロシ記者がX(旧ツイッター)で情報筋の話として「大谷がトロントに向かっている」と投稿したのだった。
 メジャーの移籍や契約に関するスクープは、各球団の番記者よりも「ナショナル・ライター」と呼ばれる記者から大半がもたらされる。スポーツ専門局ESPNのジェフ・パッサン記者やスポーツ専門サイト「アスレチック」のケン・ローゼンタール記者らがそれに該当する。モロシ記者もその一人だった。

米大リーグ、ア・リーグのMVP発表前に、犬と一緒に撮影に応じる大谷翔平=2023年11月16日、カリフォルニア州ニューポートビーチ(ゲッティ=共同)

 恥を忍んで言えば、米メディアに情報網では太刀打ちできないのが現状だ。確かに大谷が別の空港からカナダに向かっている可能性もないとは言えない。事態をもう少し、見守ることにした。
 しかし、約1時間後、他の有力記者が一斉にXで「大谷は南カリフォルニアの自宅にいる」と情報を否定。カナダメディアによると、飛行機から降りてきたのは偶然か否か、大谷と同じ代理人事務所の顧客であるカナダの実業家ロバート・ハージャベック氏だった。別人と判明し、日本、米国、カナダのファンや関係者を巻き込んだ騒動は収束。全てが終わった後、筆者は顛末を記事で配信し、同氏はその後、一連の騒ぎへの意図的な関与を米メディアに否定した。

米大リーグ、大谷翔平のドジャース入団記者会見を終え、取材に応じる代理人のネズ・バレロ氏=14日、ロサンゼルスのドジャースタジアム(共同)

 ▽代理人の大勝負
 複数の代理人への取材を総合すると、大谷の代理人のネズ・バレロ氏にとって、今回の契約交渉は沽券に関わる大勝負だったという。過去の契約では手腕を疑問視する声もあったからだ。唯一無二の「二刀流」で突出した実績を残し、歴史に名を残す大谷にふさわしい契約を勝ち取れなければ「失敗」の烙印を押されかねない。情報管理を徹底し、交渉過程が表に出ることはほとんどなかったが、最終段階にきて情報が漏れ始めた。

米大リーグ、ドジャースの入団記者会見でロバーツ監督(左)と握手する大谷翔平=2023年12月、ロサンゼルスのドジャースタジアム(共同)

 最初に具体的な動きを伝えたのは、ドジャースの宿敵ジャイアンツの地元紙サンフランシスコ・クロニクルだった。本拠地で幹部が大谷と面談したとの記事を掲載。「噂」とオブラートに包んだ表現だったが、球場を出発する編成幹部の写真も添えられていた。続いて1千億円超の契約を用意しているとの情報があったブルージェイズとのフロリダ州での面談が報じられ、その後ドジャースのデーブ・ロバーツ監督が自ら大谷との接触を認めた。極めつきが「大谷のトロント行き騒動」…。

ドジャースの入団記者会見で笑顔を見せる大谷翔平(AP=共同)

 ▽発表は大谷自身
 9日、有力記者のスクープを許すことなく、ドジャース入りを伝えたのは大谷自身だった。インスタグラムで発表すると、同時に代理人事務所も10年総額7億ドル(約1015億円=為替レートは入団合意時)の契約合意を公表。スポーツ史上最大規模の契約だった。
 大リーグには年俸総額が基準額を超えた球団に課徴金が課される制度があり、この制度上では大谷の年俸は約4600万ドルと計算される。そのため実質の契約総額は4億6千万ドルとも米メディアで指摘されているが、1年平均ではマックス・シャーザー(レンジャーズ)とジャスティン・バーランダー(アストロズ)の約4333万ドル、総額でもマイク・トラウト(エンゼルス)の4億2650万ドルを上回り、メジャー史上最高額だ。契約規模、発表の仕方。全てにおいてバレロ氏の面目を保った結果となった。

左は2023年8月23日の44号2ラン、右は8月9日の10勝目を挙げた試合の投球。エンゼルスで投打に活躍した大谷翔平選手(共同)

 同僚の関係者への取材では、大谷は6年前にメジャー挑戦を決意した際にもロサンゼルスに対する強い希望を持っていたとの証言もあり、今回もドジャース移籍もしくはエンゼルス残留の2択ではないかと見立てていた。最終候補に残ったブルージェイズやジャイアンツは条件をつり上げるための「おとり」に使われたとみる向きも根強いが、真相は分からない。メッツなどさらに資金力豊富な球団は他にもあっただけに、個人的にはその見方にもやや疑問が残る。少なくとも年俸の大半を後払いにする選択をした選手本人には、契約金額に強いこだわりはなかっただろう。

第5回WBCで優勝しガッツポーズする日本の大谷翔平=2023年3月、マイアミ(共同)

 ▽ジェットコースター
 ドジャースのアンドルー・フリードマン編成本部長は、トロント行きの騒動があった8日の心境を「ジェットコースターのようだった」と振り返った。今後、交渉の内幕の全容が明かされる日が来るかは分からない。スポーツに限らず交渉は情報戦の面があり、メディアが利用されることも珍しくないし、語られる言葉が必ずしも真実とは限らない。特に今回は情報が錯綜し、混乱を招いた。自戒するとともに、あらゆる関連情報を転電し、過剰に報道する潮流には思うところもある。
 大谷がFAになってから1カ月以上にわたった「狂想曲」。ともあれ、本人は望んだ球団でプレーし、ドジャースは念願の選手をチームに加え、代理人は栄誉を手にする大団円になった。

© 一般社団法人共同通信社